1996年 1月−12月

CALS対応のシステムを(1996年12月2日)

 CALSの実現を前提としたプロジェクトが、さまざまな業界で試みられている。建設業界においても、幾つかの実験的モデルを構築し、実証実験に向けた準備を進めたり、CALSのための国際的共通データフォーマットの設定に参画する企業が増えてきた。
 CALSが実現した段階では次の三項目の原則が常識化しているはずである。

  1. データはー度作り、何度も使う。
  2. 製品データを共有する為のインターフェースが整っている。
  3. ビジネスプロセスとデータの統合が行われている。

 わが国の、建設産業の現行の仕事の進め方とCALSの常識との間のギャップは、一見非常に大きく見えるが、この十年間に蓄積したさまざまなツール類の活用を図れば、比較的その距離は近いとも思える。
 問題は、設計から施工、保守にかかわる担当者の大部分の意識が、旧態依然とした方法論から転換できないことにある。
 一度作ったデータを何度も使う為には、紙を使用する設計法を捨てなければならない。紙への出力は、データが正しいか否かを確認するために行うことはあっても、情報の交換のためのメディアとしては使わない。
 情報の交換は、あくまでも共有データが唯一のメディアであり、各人の仕事は、共有データに必要な項目を追加することになる。そのデータに矛盾があるか否かは、データ作成者に限らず、それに関わるすべての担当者が指摘できる。
 インターフェースは、自身の作業を行うのに必要なツールと共有データとの間を接続するもので、必要なデータが欠落しない質の良いものでなければ仕事に支障をきたす。図面をコンピューターで作成しただけでは何の意味もなく、図面が描けるだけのものから、材料の数量が拾い出せ、材料データベースに付随する歩掛かりも含めた複合単価と連動することができるものにならなくては、共有データとはいえない。
 建築工事の使用材料は多岐にわたり、非常に種類が多い。従来の設計事務所のスペースは、各メーカーから送られる材料のカタログで埋まってしまう。すべての材料を一度にコード化することは到底不可能であるが、設計に使用した材料はその時点で材料リストに登録しておかなければならない。一度登録した材料は、関連するすべての担当者が閲覧できる。
 旧来の方法は、個人の技量に応じた極めて人間的な作業を前提としたものである。CALSの目指しているものは、人間的な作業を否定するものではなく、コンピューターというツールをフルに活用して、作業の質を格段に向上させ、合わせて政府発注の工事のすべての品質の向上と、受注者の応札の公平な機会均等を実現しようとするものである。
 幕末にわが国を襲った黒船騒動を思わせる発言をする向きもあるが、脅威に怯えるのでなく、最新のツールに相応しい仕事の進め方を試す良い機会と捉えて、技術革新に対応する姿勢が必要であろう。当然、実現までにはさまざまな障壁に遭遇するが、一つひとつの障壁は乗り越えれば良いことで、始めないことには、何も見えてこない。

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道具の進歩と設計者の意識(1996年11月1日)

 ずいふん長い間、コンピューターとソフトも含めたその周辺の諸々の価格が、一般諸物価に比して高価な時代が続いた。一種神格化されて一般庶民には手の届かない時代が長かったせいもあって、現在でもなお誤解をしている人が多い。
 試作品程度の未熟なコンピューターを商品として販売していた時期は、皮肉なことに、メーカーにとっても扱う商社にとっても、利益の大きな良い商品であった。先進的な利用者は、非常に大きな投資をしながら、コンピューターを手に入れ、自社の業務に役立てるべく、担当者は苦労を強いられてきた。それでも、高度成長期には各社争って新型のコンピューターを次々に導入して、少しでも役立つことを目指したが、費用対効果の成果が現れるにはあまりにも高価であった。自社内にあっては、期待どおりに動かないコンピューターの擁護者になって、社内の批判者に立ち向かった担当者の努力は、メーカーや販売者との一体感すら感じさせるほどであった。
 今のパソコンは、それらに比べればコンピューターの完成品である。しかし、いまだにパソコンは機能が低いと考えている人びとが多いのは、未完成時代の古き良き時代から脱皮できないでいるからであろう。パソコンは完成品となったが、実際、何に役立つかということになると、これはまた別の問題である。パソコンそのものは単なる処理機能に過ぎず、利用者の英知とあいまって、初めて能力を発揮するものだからである。
 建築や土木の構造設計の分野では、比較的早い時代からコンピューターを使っていたので、古い時代の後遺症が、今も多分に残っている。パソコンの機能を使えば、従来不明であった構造物の挙動が、明らかになる。ただし、そのためには設計の当事者は以前に倍する仕事をしなければならない。データの作成、解析、結果の検討という一連の作業を一人でこなすと非常に大きな効果があるからであるが、古い時代のように分業で行っていたのでは高機能を享受できない。なぜなら、解析の時間が極端に短縮された為、データを作成すればすぐ結果の考察ができ、データを変更して再計算する繰り返しの間、ひと休みする間もないからである。これを分業で行っては、担当者間のやりとりのロスに殆どの時間が取られてしまうという矛盾に遭遇する。
 構造物の解析の技術は、まだまだ未成熟である。設計者が未成熟を自覚して、それを補う努力を続けなければ、施主はたまらない。神戸の地震は、何時くるかわからないわけで、行政の決めたルールを守れば良いというものではない。設計者がより多くの努力を傾ける環境は、パソコンによって一歩前進したのだから、まず、設計者の意識改革をしなければならない。単に評定プログラムを走らせれば設計完了というような安易な取り組みではなく、より安全を求める努力が必要である。新しい建築基準法には是非設計者の努力を意識してほしい。従来のいわゆる新耐震設計基準は、古い道具を意識した小手先の操作に頼り過ぎている。道具の進歩に会わせて、設計者の技術も進歩させるような基準でなければならない。

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建築基準法の改正(1996年10月3日)

 今、建築基準法の改正作業が進められている。昨年11月に建設大臣による諮問があり、それに答える答申素案が8月に基本問題分科会でまとめられ、関連団体に対する説明会とインターネットのホームページを通じて、広く国民の意見を求めている。意見の収集を9月末までに済ませ、今年度中に答申を完成させる。
 建築基準法は、関連する業界が非常に広く、その影響が全ての国民に及ぶことを考えると、答申案に対する国民に与えられた考慮時間が少なすぎる。しかし一方では、阪神・淡路大震災によって、現行建築基準の不備が露呈され、次に来るべき地震を考えると、急がなければならない事情も理解できる。
 建築関連の業界内部の問題点は、企業の規模がいつの間にか非常に大きくなり、間接業務に携わる人口比率が高く、全体の技術水準が低下していることである。バブル崩壊後の各社は、遅蒔きながらリストラに取り組み始めた。しかし、一旦管理職についた技術者が、自身で技術問題の解決に取り組むのは容易ではない。一頃、「自分で仕事をする時間があるなら、その代わりをする人を集め、自分は次の仕事を取りに歩け」と、技術職から管理職に転向させられた。そうしなければ、そのポストを維持できないから、否応なく馴れない管理職の仕事を長年している内に、すっかり技術職としての筋力が落ち、不況になったからといって急に技術職に戻れない体質に変わってしまう。リストラは、主としてこの階層に向けられている。上記の現象は、技術の空洞化であろう。
 問題を構造設計法に絞っても、上記の現象は変わらない。高度成長期の始めにコンピューターが商品として世に出てきた。従来の計算尺と算盤を使用しての構造解析を徐々にコンピューターに置き換え、いつの間にかコンピューターがなければ、解析ができないようになった。コンピューターの機能はある時は急速に向上し、ある時期には停滞しなら、現在に至っている。過去の一時期から見れば、飛躍的な進歩を見せたと言えるが、構造設計という業務を委ねるには、未だあまりにも未完成である。鋸が電動になった程度の効果はあっても、設計技術者の判断を抜きにした自動化には、道が遠すぎる。
 技術的な筋力を失ったかつての技術職達が、コンピューターに頼り過ぎるのは非常に恐ろしい。コンピューターを道具として使い、技術者の判断の足しにするには、徹底的に使い込まなければならない。かつてのように、紙に書いて依頼すると紙に出力された結果が得られるというコンピューターではなく、自分自身がキーを叩き、マウスを操作して、結果をディスプレイで確認するという作業の繰り返しが、道具としての利用価値を高める。中途半端な使い方ではかえって判断を狂わせてしまう。
 構造設計の技術も又、未だ未完成である。技術が未完成であっても建築を止めるわけにはいかない。その時々に精一杯の努力をして、少しでも良い建築を作り上げるのが建築家の役目でもあり、宿命とも言える。そういうことが自然に行える基準法であって欲しい。

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構造設計法の改革(1996年9月2日)

 技術者個人の能力は、教育、経験、環境などにより大きな影響を受けるが、最も大きな要素は、資質である。そして、その資質を育てる為の環境、具体的に言えば厳しすぎる程度の仕事を与えることが必要である。技術者が技術力を身につける時期には、寝る間も惜しんで仕事をするように、目一杯の量の仕事をさせなければ、技術力は身に付かない。なるべく若い時代に、その体験を積ませ、妙に頭で考えるのでなく、体で覚える期間が必要である。今、わが国は、政治、経済、学問、技術などあらゆるところにマンネリが蔓延し、緊張感に乏しい。
 建築の技術は多岐に亘る。建材、工法などには、新たな開発が多々見られるのに、構造設計の方法は、過去70年の間、殆ど変化していない。しかも、技術的に未成熟のまま長期間放置し、大地震の都度被害を目の当たりにしながら、設計方法が何故進歩しないのだろうか。既に一人前の構造設計者と自他ともに認める設計者達に、折角身につけた構造設計の方法論を一変させる勇気が欠けるているのではないか?
 構造設計の方法論は、その初期の段階、関東大震災の直後の大正末期から昭和の初期に掛けて大論争があり、結局水平震度法という間に合わせの方法が採用された。ウィルソンのとう角法を用いて、重量に比例する水平荷重による解析を行えば、地震に対して安全が保証されると言う、祈りにも似た方法論を構造設計の根幹としてしまった。実際には、とう角法の求解の過程で、1次多元連立方程式が事実上解けなかったために、その後、50年にも亘って、各種の略算法の開発が、構造設計法の研究の主テーマとして君臨した。
 コンピューターが登場した時、これによって構造物の水平荷重時の正解が得られると期待した。しかし、連立方程式の未知数の制約からある程度解放されるまで、メモリーの容量と処理速度との闘いが続き、30年も待たされた。今、ようやく水平荷重時の骨組みの応力解析に関しては、正解が得られるコンピューターを手に入れることができた。
 しかし、それで全てが解決したわけではない。現行の諸基準の見直しが可能になったというだけの話である。構造家が施主の期待する構造物の安全、地震の大きさに対する安全の度合いを保障するかというテーマのほんの糸口に達したということである。コンピューターは、我々にとっては一つの道具に過ぎない。構造設計の為のソフトウェアは、更に小さな道具に過ぎない。行政と学会が過去に犯した大きなミス、プログラム評定制度という悪法が、建築物の構造設計という非常に困難な仕事を安易な仕事に落としてしまった。設計料と見合わないと言う苦情を構造設計者側から耳にするが、単に食べるための生業なら、「構造設計など止めてしまえ」と言いたい。もっと苦労を積み重ねなければ、地震の被害者達は救われないではないか。
 既成の大家達の「いわゆる学識」に依存するのではなく、若い有能な、労を惜しまず働く人材を広く起用し、構造設計法の改革に着手する時期がきたと思う。

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データ共有を左右する人材(1996年8月1日)

 建設における設計者、施工者間でのデータ共有の試みがようやく盛んになってきた。
 わが国に於けるソフトウェア開発技法に関する専門家達は、ソフトウェア開発の最終工程とも言えるプログラミングという仕事を常に軽視してきた。ソフトウェアの設計さえうまくできていれば、プログラミング作業は人海戦術ででもやっつけてしまえるという、間違った前提でソフトウェア開発を考えてきたからである。そして、その人達の開発したソフトウェアは、殆ど日の目を見ないまま消え去ってしまった。
 一方、ハッカーと呼ばれるプログラミングの天才達の開発したソフトウェアは、ベストセラーとなり、多くの人々に長い間使われている。ハッカーという用語は、創造的な遊び心の精神で行動するプログラマーを意味し、決して電話回線からコンピューターに悪意をもって忍び込むクラッカー(破壊者)ではない。ウィザード(魔法使い)と呼んで区別する場合もある。
 学者達、つまり開発作業に直接携わらない人々は、プログラミングの本質を理解しないまま、理屈を構築する。そして、それらが実作業の不得手な政略家達によってあたかも正当な手法のように喧伝され、結果的にソフトウェア開発を失敗に導いた。
 ソフトウェア開発の仕様書の不具合を発見したプログラマーが、プログラマーの手では如何ともしがたい状態に陥らない限り、設計者にその解決を求めることはしない。プログラマーの手で設計者の知らない内に直してしまうからである。プログラマーの手を離れてテストの担当者に渡った後も、設計の不具合が設計者に報告されることは少ない。何故なら、テスト担当者とプログラマーの手で不具合は修正されているからである。最近、過去のソフトウェア開発と同様な間違いが、プログラムの利用の面にも表れてきた。建築設計にコンピューターを使用するのは、もはや、当たり前の時代である。使用するソフトウェアの良否に関する議論は結構盛んであるが、あるソフトウェアを利用する為に作成されたデータの良否に関する議論が少ない。実害は、データ作成の劣悪な場合に発生する。そして、その失敗が利用したソフトウェアそのものの評価にすり替わる。
 建築生産の建設現場において、建築設計に利用されたデータを共有する試みが活発になってきた。データ入力作業の巧拙によってデータ共有の成果が左右され、ひいてはプロジェクト全体の成否に関わる大問題になるという事実は、報告されない。その認識が不足している間は、データ共有の実効がなかなか上がらない。データ共有の目的が、設計の不具合をなるべく手前の工程で発見しようということにあるので、設計のデータが正しく入力されていることがスタートであり、そうでなければデータの共有は始まらない。データ入力という作業を間違いなく行えるか否かは、入力技術者の能力と熱意とそのソフトウェアに対する深い理解に関わる。そのような技術者は、一朝一夕には得られない人材であるとの認識を企業の幹部が持たなければ、質の良い技術者を育てることはできない。

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建設業界の合理化の薦め(1996年7月1日)

 時代の変革期には、旧来の方法を支持する人々と、来るべき新しいシステムへの移行を望む人々に分かれて、一進一退の闘いが繰り返される。
 各社のコンピューターシステムは、今、丁度その時期に差し掛かっているが、旧世代のシステムを支持する人々の勢力も依然として強い。特に、各企業に於けるトップは、なかなか新しいシステムへの移行を支持することを表明し得ないでいる。企業全体の人事が旧システムを中心として配備されており、しかも、日常業務がその上で動いているので、新システムへの移行を決断するのは容易ではないことは分からないではない。
 問題は、景気の先行きの動向がどう変化するかの読みとも関連するので、一概に旧システムに固執する人々を批判するわけにもいかないが、筆者の予測では建設業界の景気は今後10年間は冬の時代が終わらないと見ている。横並び、護送船団方式などといわれている官主導型の限界がきて、サバイバルの時代に入ると思う。従って、経費の嵩む旧システムをなるべく早く破棄して、身の軽い新システムに移行しないと、業界内の生き残り競争に置いていかれてしまうと懸念する。
 江戸時代末期から、攘夷、開国、維新、近代化、大戦、敗戦、復興、高度成長、オイルショックと変革の全てを外圧に頼ってきたわが国の体質は、コンピューターシステムの選択にも現れ、自社内の決断だけでは、なかなか最良の選択ができにくい。
 今、コンピューター業界を始め、家電業界などは景気が回復したといわれているが、半導体には既に陰りが見え到底、長期に亘って維持しそうには思えない。自動車業界などは厳しいリストラにより、また海外に生産拠点を移すなどして、経常利益をようやく確保している状態である。
 一方、地方公共団体はいずれも数年前からの様々な事業、と言うより今となっては無定見な、ばらまきプロジェクトの付けが嵩んで、140兆円もの負債を抱えるに到っている。各地方都市に建てられた豪華な文化会館や芸術劇場などは、今や運用の採算を維持する事ができずに、赤字を膨らませる足枷にすらなってしまっている。来年度には消費税が5%に上がる。当然個人の消費は抑制される。
 このような状態を考えれば、景気回復のために建設投資を期待するなど殆ど不可能に近い。建設業のリストラの時期は既に始まっている。しかし、建設業は、人材を整理してロボットに置き換えてできる仕事ではないから、人材対象のリストラには自ずから限界がある。むしろ、人材の活用を図り、できるところから経費を切り詰め、効率を考えた仕事の進め方を取り入れる努力を続けて、ようやく10年先の光明を見いだすことができると思う。その意味では、SLにも例えられるような、鈍重な大型コンピューターやワークステーションなどに固執することなく、高性能のパソコンに移行する良い時期であろう。そして、派遣要員や外注に頼ることなく、優秀な自社内の人材で運用するネットワークシステムは、必ずや数年後には改革を推進する原動力になるであろう。その経験は貴重である。

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建築生産データ共有の推進(1996年6月3日)

 32ビットの高性能パソコンが、非常に安価に手に入るようになった。それに伴ってパソコンの利用法が次第に変化している。ウィンドウズ95の搭載が普通になり、ネットワークの活用が急速に進んでいる。同一作業所内のローカルなネットワークから広域のネットまで、比較的安価に設備が整い、誰もが利用できるようになった。その効果で、建築生産データの共有化が具体化され、建築の構造モデルをコンピューター内に構築し、活用する動きにも現れてきた。
 実際の工事現場で、建築モデルを構築し、RC躯体図の自動作画を始めとして、鉄骨施工図、鉄筋加工図の作画と積算、鉄骨建て方計画などに利用する。その段階で、設計図面間の不整合などが発見されれば直ちにモデルの修正が行われる。更に電気、衛生、機械設備の配管や機器と構造体との干渉チェックなどに共有データが活用され、各専門業者から具体的に梁の配管貫通などのデータがフィードバックされる。鉄骨の加工にデータが渡される以前に、梁貫通のための開口補強などを行うのは、当然と言ってしまえばそれまでのことであるが、なるべく早い時点で設備機器とのチェックを行えれば、それだけ各工程での現実のロスを軽減できることは間違いない。
 コンピューターの能力が非常に貧困な時代には、これらの情報の交流は全て図面上で行われていたから、作画のための労力が大きく、不整合の生じる確率は非常に高かったし、表面に現れない作業上のロスや品質の低下を避けられなかった。
 現時点で、データの共有化に期待される仕事が全てスムースに流れているわけではないが、できるところから手を付け、それなりの成果が現れているのは、一品生産を前提とする建築生産をより堅実に完成させる為に、データ共有化が既に実用段階に入っていることを示している。
 従来の個別処理からデータの共有化への転換には、コンピューターの処理速度の向上と記憶容量の拡充と価格低下の推移とそれに伴う基本ソフトウェア開発の進み具合を見守り、各種応用ソフトの改良とモデル構築を行う入力技術者の養成など、共有化の為のインフラ整備をにらみ合わせながら進める必要がある。
 こうした新しい動きに、ともすれば反対する意見も強い。実際にカバーされていない機能に対するクレーム、具体的にデータ構築に要する費用を誰が負担するか、構築された共有データの所有権、機密保持など、問題は数多いことも事実である。しかし、従来の方法に比べれば、少しでも良い建築を完成させる為に、という目的に対して否定する要素は少ないし、時間が経過すれば更に共有化の利点は増加する。但し、コンピューターはあくまでも道具の域をでないのだから、共有データを用いた為に生じた不具合の責任は、全て利用者の不明に帰するという同意が関係者全員に無ければならない。
 建築生産は、未完成な技術を組み合わせて行う仕事であり、より良い方法を追求する姿勢を失わないような常日頃の心がけを前提として、データの共有化を推進したい。

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建築生産データ共有の時代(1996年5月2日)

 32ビットパソコンのウィンドウズ搭載機種が、急速に普及し始めている。従来の16ビットMS−DOS搭載機から、いずれはウィンドウズに切り替える利用者が増えてくる。10年以上に及ぶMS−DOSを前提とした各種のソフトウェアの蓄積があり、そう急速には変換作業は進まないが、汎用性の高いソフトウェアから徐々にウィンドウズへの移植が行われることになろう。
 32ビットパソコンに対する期待の一つは、問題毎にデータを入力して個別処理を行ってきた従来の処理形態から、一度入力したデータを大切にして、他の目的にも利用するデータの共有化である。構造計算に利用したデータを構造図の作図に利用し、更に数量積算に利用する縦割りのデータ共有は、従来も試みられていたが、それぞれの領域で必要に応じて追加されたデータは、その建築に関わる全員の財産になる。構造設計の目的で入力されたデータが他の領域、例えば意匠設計の平面詳細や、設備の配管の干渉チェックなどにも利用できる。互いにデータを共有できれば、建設現場での不整合を極度に減少できる。
 データ共有の前提は、ウィンドウズの一つの機能として期待されているネットワークによるパソコンの伝送路の確立である。これはハードウェアの問題である。もう一つの大事な点は、従来と異なる仕事の進め方である。顔を合わせての打ち合わせから、互いに必要な打ち合わせ事項を電子メールの送付や電子会議室への投稿による連絡に切り替えることにより、担当者の時間的なロスを少なくし、同時に責任の所在を明らかにできる。
 日本的な商習慣では、発注者がメンバーの召集を掛ければ、何を置いても駆けつけるのが当たり前であった。しかし、呼ばれる方は、作業する時間を割いて出かけるわけで、必要な連絡事項を電子メールで送る習慣が付けば、コンピューターに向かっている時間を邪魔されずに済む。打ち合わせ用の紙を用意する代わりに、コンピューターに入力したデータのどの部分をどのように変更するかを連絡すればよい。思考法の改革である。最近、電子決済という言葉が盛んに使われ、CALSの必要が叫ばれているが、打ち合わせに終始する生活習慣から早く脱却し、各自が自身で思考し結論を出す習慣を身につけなければ、高性能のコンピューターも「猫に小判」の値打ちでしかない。データの共有ということは、入力担当者が専門に入力すれば共有データが構築されるのではなく、管理者も共有データを利用して設計や工事が、思惑通りに進行しているか否かを確認するようにしなければならない。単に担当者の話を聞くだけでなく、時には共有データを利用して自ら図面を出力したり、数量表を作成して、チェックすることが求められるのである。
 過去の経験の蓄積は、管理者も含めて、共有データに直接アクセスし、データの不備をチェックして初めて活かされる。そうしなければ共有に値するデータは構築できないし、一品生産の建築には、是非とも必要な手段である。

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構造家に期待する能力(1996年4月2日)

 コンピューターの機能が年々向上し、有用な道具として構造家に寄与してきた。しかしその一方で、構造家にとって非常に重要な感性、即ち、「外力に対する構造物の抵抗要素の応力伝達の推移を想像する能力」を奪ってしまったように思う。過去、計算能力が十分でない時代、構造家は構造物の崩壊過程を必死に想像し、予測し、その確認の為に簡単な構造模型を作り、略算を積み重ねて、不足する計算機能を補いながら、予測の正しさを立証する努力を積み重ねた。そして、結果的に感性が磨かれた。その当時、確認申請を通すということは、上棟式に出席する程度にしか重要視していなかった。わずか数ページの計算書であっても、その内容には大きな自信を持ち、構造設計図書の裏付けに投じたエネルギーの大きさを背景に、仕事に誇りと楽しさを持っていた。役所は、事務的にはチェックを行うが、役所の指摘に対して、説得は容易であった。
 現代のコンピューターは、ある種の計算能力には長けてきたが、それで構造物の崩壊過程が追求できるほど有能ではない。かつての、模型を作って簡単な実験をしてみる程度の役に立っていると言えるかどうかも疑問である。構造家が簡単な実験を省いても良いほどの能力はない。コンピューターを使って、多くの数値実験を繰り返して、ようやく崩壊過程の予測ができる。コンピューターやソフトの販売者の中には、構造家不要論を唱えるものもいるし、それに悪のりする役人や学者もいる。しかし所詮、優れた構造家の感性を補うには、ほど遠い機能しか備えていない。高度成長からバブルの時代までの間に、その程度のコンピューターに篭絡された構造家は、バブルの崩壊した今、すっかり堕落し、疲弊してしまった。
 確かに、コンピューターによって機械的に確認申請の書類は作成できる。構造家は、単なる事務処理は上手くなった。「そのことと構造物の安全とは全く連動していない」との認識を失うことは非常に危険である。コンピューターによる一貫計算を行う程度の処理では、相変わらず、地震などの外力に対しては無力である。現在設計している構造物が、来るべき地震に対してどのような挙動を示し、どのように崩壊するかのイメージを持てないまま、設計が完了してはならない。
 構造家に対する期待は、どの程度の地震に対して、どの程度の安全が保証されるかを個々の構造物について解明するところにある。役人は地震に対する被害の保証をして呉れるわけではない。常に、施主の身になって、自然の脅威に対して考え続けなければ、世の中から抹殺されても仕方がないと思う。常に、「本当はどうか」を想像する能力を磨く努力のみが構造家の需要に結びつくとの信念を呼び戻す時である。コンピューターはその為の一つの手段に過ぎない。全構造家の一割程度でも、コンピューターに依存しすぎることに対する危機感を持って設計して欲しい。まして、既存の構造物の耐震診断を行うときには、構造家の感性に頼らなければ、真の解は得られない。単なる事務処理に終わらせてはならない。

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現行設計基準の問題点(1996年3月1日)

 先日、JRの摂津本山駅から阪神の魚崎駅の間を2時間ほど掛けて歩き、被災地の後を見た。住宅地の復興には、まだまだほど遠いと感じながら、構造設計の方法論を如何にするべきかについて、考えさせられた。
大正末期から昭和の初期に掛けて、耐震建築は如何にあるべきかについての論文が、多数建築雑誌に掲載されている。震災後の復興に際して、関東大震災の体験を踏まえた佐野博士と真島博士の剛柔論争は、双方の同調者や弟子達をまじえて、非常に激しい論調で闘わされた様子が生々しい。耐震建築を剛構造にするべきか柔構造が良いかの議論が、震災を受けた建物の被害調査とその後に行った各種の実験とを根拠に闘わされているが、対象を、8、9階の当時としての高層ビルから木造建築までを含めて、その中から一部を議論の引き合いに使っているので、どちらが正しいとは判断のできない論争である。それよりも、地震の最大加速度と重力の加速度の比をもって水平力として、静的に解析することの是非の議論は、今日の耐震建築の設計基準を考える上で、参考にするべき主張が各所に見られる。議論そのものは、結局解析手段の貧困な時代の故に結論が出ることなく、いつか立ち消えになってしまったが、計測と解析の道具が発達した今日、もう一度洗い直すべき貴重な主張である。
 関東大震災の最大加速度は、本郷の東大地震研究所の記録が97ガルであったことから、佐野博士は震度0.1を提唱した。そうでもしないと、実際の設計ができないという主張で、その手法が絶対正しいと言っているわけではない。真島博士は、振動方程式を解くべきであるとの反論で、震度0.1として静的解析を行うことなど、全く理論的でない数値を元に計算をしても意味がないとの主張である。当時は、ようやく「ウィルソンの撓角法」が発表され、連立方程式さえ解けば静的解析が可能になると考えられていた頃である。工学的判断によって水平震度法を提唱した佐野博士の英断は当時の技術背景を考えれば卓抜であったと思う。実際の設計に当たっては、対称条件などを使って未知数の数を減じなければ方程式を解くことも容易でなかったわけで、数々の略算の手法が研究される契機を与えた。
 今、我々は道具としてコンピューターを持ち、様々な解析ソフトを手に入れて、解析手段に恵まれてきている。数値解析を行うには、解析用にモデル化を行う。解析モデルは理想化されたモデルであるから実物との間に当然ギャップが存在する。数値解析に頼り過ぎるのは危険であるが、なるべく原型に近いモデル化で数値解析を行うことを提唱したい。設計基準の制定に当たって、誰にでもできるような簡便な方法にこだわる時代は過ぎ、専門家として自信の持てる耐震建築に近づく方法を検討するべきであろう。
 最大加速度97ガルから始まった現行基準は、神戸では818ガルの最大加速度を記録している。現行基準を基にして細部を改良するより、昭和の初期の原点に立ち戻って、略算としての静的解析に加えて、重要な構造物に適用する具体的な方法論を考え直す時期ではないかと思う。

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谷口忠先生を悼む(1996年2月1日)

 谷口忠先生が昨年暮12月11日に95才で亡くなられた。
 新潟地震の時、偶々昼食の最中であったが、”新潟か富山だろう。すぐラジオをつけろ”と言われた声が、いまだに鮮明に耳に残っている。すぐ、地震についての基礎的な解説を伺え、その晩5人の調査団を組織して車で現地に向かわせたのは、卓抜の御判断であった。
 谷口先生の終生の研究テーマは、若いときに佐野利器先生から与えられた「人が病気の時に体温計で熱を計るように、建物の状態を簡単に測るものを探し出す」ことであったと聞く。地盤と建物の固有周期の関係が、建物に作用する地震力に大きな影響を及ぼすから、まず建物の固有周期を簡単に求めることが必要であり、そのための周期式の研究は、いつも鞄に入れて抱えられていた。
 昭和41年であったが、ある講演会に50人程のお客様をお招きして、谷口先生にもご講演をお願いした。その時、先生の学位論文に使われたという16ミリのフィルムを拝見しながら、関東大震災の地震の恐怖について語って頂いた。その時の迫力ある映像は今も尚目に焼き付いている。その迫力には、撮影から60年以上を経た今日の最先端のコンピューターシミュレーションもまだまだ到底及ばない。先生はそのフィルムの一コマずつを虫眼鏡を使いながら計測し、震災の研究をされたと聞く。昭和の始め頃に、物の不自由な時代であったと推察するが、根気と努力の結晶のような研究を続けられたと思う。その後も建物の階数から周期を求めると同時に、階数と推奨周期関係を見いだすことに打ち込まれておられた。
 先生が設計された建物の一つを手伝った友人がいる。9ミリ厚のアングル材を使ったところ、「こんなブリキ板みたいな材料を使って・・」と大目玉を食らい、同じサイズの13ミリ厚に全部変えさせられた。戦後の鉄骨材が非常に高価な時代で、友人達は非常に不満であったそうだが、先生はそんな一時の経済現象など、地震の被害を考えれば小さなことだとの信念は変わらなかった。規準の安全の尺度は、単に最低満足させなければならないことを示しているだけであって、予測のできない地震その他の外力に対しては、十分な配慮を怠ってはならないと、常々主張されていた。建物の寿命が人の寿命に比べて長いことを考えれば、目先のことに囚われずに、質の良い建物を心がけるべきであるという教訓は、筆者も肝に銘じさせられている。
 30年も前に筆者らがコンピューターによる構造設計に血道を上げている頃、今に自分の首を絞めるようにならなければ良いがと危惧されていた。今、評定プログラムを使って極めて機械的に設計業務が終わってしまい、分厚い出力にろくに目を通すこともなく、施工されてしまうのを見ると、先生の心配はこのことだったのかと、しきりに考えさせられる。
 この5年ほどはご病気で、お元気な時の先生に神戸の地震の話を伺えなかったことが、残念でならない。
 心からご冥福を祈ると共に、先生の数々の教訓を忘れずに精進することを、あらためて心に誓う。

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インターネットのブーム−一回り大きい仲間意識を(1996年1月11日)

 昨年の後半から、わが国にも突如インターネットのブームが起こった。建設各社が競ってホームページを開き、世界に向けて情報を発信し始めた。建設業の場合、兵庫県地震の時、携帯電話とパソコン通信の組み合わせが緊急の通信手段として活用されたことが契機となったかもしれない。兎も角今や、世界中の情報を居ながらにして入手できるし、世界中の同好の士に情報を発信できることになった。
 パソコン通信の効用は、数年前から筆者も実感しており、折に触れて友人達にも奨めてもきたが、実際に使い始めた友人はせいぜい数パーセントに過ぎなかった。パソコン通信を始めるに当たって、第一に文字をキーボードに打ち込まなければならないこと、第二にパソコンとモデムでパソコン通信のネットに接続するのに、若干の知識に基づく操作を必要とすることが障碍であった。そして、どうしてもパソコン通信をしなければならない必要を感じなかったことが、最も大きな要因であろう。ワープロの普及が進うちに、手書きの文字からキーボード入力への転換がいつの間にかできてきた。又、最近のパソコンにはモデムが内蔵され、パソコン通信への加入が特別の知識を持たないでも可能になった。そして、何より、情報伝達の為に自分自身が移動することの時間のロスを如何に軽減させるかの必要に迫られたことが、ネットへの加入者を急増させた。更に、各社の社内における、ネットワークの敷設が急速に進み始めた。
 ネットを通じてのメールの交換は、相手の仕事の邪魔をしない。しかも、確実に交信の記録が残る。仕事に必要な図面情報を含めたデータファイルの交換は、仕事の相手との距離を感じさせない。国内に於ける特定のネットでも、ネットを使い始める効用は数多いが、インターネットの場合は更に国を越えて情報が交流するので、それが必要な人にとっての恩恵は、計り知れない。
 もっとも、インターネットを通じて世界の情報を入手しようとした時、入手可能な情報量は非常に多くて、一人の人が咀嚼しうる量を遥かに越える。知りたい情報をよほどうまく絞り込まないと、情報を得るどころか時間のロスが大きくなってしまう。多すぎる情報の山は屑同然でもある。不要な情報をあっさりと捨て去るのは、紙の文化に育った世代にとってはなかなか難しい。
 技術問題の他に、国際社会に通じる意識改革も必要である。わが国独特の閉鎖された商習慣と、世界に開かれたインターネットとのギャップも非常に大きい。同じものなら知り合いから買おうとするのは、決して悪いことではない。しかし、明らかに同じものを、知り合いであるからと言う理由だけで高価に買い入れるのは、おかしい。国や企業がそのように振る舞うのは、決して正常ではない。その事実を隠すための書類などを作成したりするのは犯罪の筈であるが、その感性を失ってしまった人達も少なくない。
 情報が広く開かれるのを契機に、もう一回り大きな仲間意識を、我々自身で育てる努力が必要である。

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