1989年 1月−12月

一円入札にみる技術軽視(1989年12月4日)

 富士通が広島市で行った下水道に関する地図情報システムのシステム設計を一円で入札するという事件は、わが国の技術軽視の傾向を象徴するものであった。富士通といら会社は、常々、技術重視の社風を売りものにして、今日まで高成長を続けてきた、数万人の技術者を擁する企業である。現に、現在の社長は、技術出身の社長であり、このところ毎年、千人もの優秀な技術系新卒者が入社している。
 建築の常識からすると、システム設計という仕事を、施工を担当する企業に発注することは、考えにくい。なぜ、広島市は富士通や日本電気等のメーカーを相手にシステム設計という仕事の入札を行ったのだろうか。その入札に、システム設計の専門企業が参画していたのかどらかわからないが、工事金額の高々数パーセントでしかない設計費用の入札を、工事を担当する企業を含めて行えば、一円の落札を当然予想しなければならない。システム設計を請負った企業の製品を意識した設計をするわけだから、設計に続くシステムの納入からソフトウエアの開発までを含めたソロバンをはじくのは企業側としては至極当然であろう。発注者側が、安く仕事を請負わせて何が悪いと開き直るのは、言語道断である。
 この事件は、コンピューターシステムがここまで普及し、技術的にも、システムの設計と、ハードウエアの選択と、ソフトウエアの開発とを独立に行えるだけの蓄積が出来ているにもかかわらず、安易に入札業者の指名を行った市に重大な責任がある。企業に、仕事を請負うに足る技術があるということと、企業の目的から考えてその企業にその仕事をさせてはならないということとを決して混同してはならない。コンピューターのメーカー以外に、システムの設計が出来ないと考えていたとすれば、認識不足も甚だしいし、発注者として怠慢である。
 既に、科学技術庁の行う技術士の情報処理部門や応用理学部門には、この種のシステム設計を専門とする技術者が多くいるし、通産省の行う情報処理技術者試験特殊の合格者の中にも十分能力を有する技術者がいるのだから、コンピユーターのメーカーに依頼する必要はなかったはずである。入札の指名に当たって、少しでも良い公共的なシステムを作り上げようという気持ちさえあれば、今回のような事件は生じなかったはずである。コンピユーターは、今や、特別にベールに包まれた商品ではなく、利用者側が様々な角度から試験し、検討できる普通の商品である。コンピューターは、確かに、見かけよりも複雑な商品ではあるが、部品の集積化が進んだ今日では、取扱う部品の単位は、意外に少ないものなのである。
 この事件を契機として、システム設計を専門とする設計業の必要性が、社会一般に認識されるようになれば、わが国の技術軽視の傾向に、歯止めを掛けることになるし、災い転じて福となす契機ともなろう。

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コンピューターOSの是非(1989年11月7日)

 MS—DOSがパソコン上に搭載されて、業務用のパッケージソフトが急速に普及した。OSと称するには余りにもコンパクトなOSであるが、パソコン搭載にも、かさばらずに、しかも最低必要な機能は持ち、MQーDOSに組み込んだパッケージソフトは、各々の専門分野において、数多く開発され提供されている。
 ソフトウエアというものは、利用しているうちに、機能の拡張、操作上の改良等の要望事項が利用者から次々に寄せられる。それらに対して、根気よく対応し、バージョンアツプを続けているうちに、使いやすいソフトウエアに成長する。よく、外注して作らせたソフトウエアが、社内でなかなか利用されないという苦情を耳にするが、注文して独自に開発したソフトウエアは、その後の社内の利用者達の声にもっと耳を傾け、ソフトウエアの改良に熱心にならなければ、使えるものにはならない。たとえ、ソフトウエアが開発当初の打ち合わせどおりに作られていたとしても、使ってみた段階で改良したい点が多くでるもので、ソフトウエアの仕様が悪かったと批判されることを恐れるのではなく、むしろ、始めから一年や二年は、改良に改良を重ねる予算を計上していなかったことを恥じるべきものなのである。OSや機種の選択も保守のし易いものを選ぶべきである。
 MS−DOSのもとで開発されたソフトウエアが、機能の拡張を重ねているうちに、メモリ不足や、処理速度の限界にぶつかり、OSを替えない限り機能の拡張を諦めなければならないと思われる事態に遭遇することがある。そのような時、パソコンからEWSに切り替えて、UNIXを使つてみようとしたことが何度かあったが、実際にはその試みは失敗に終わった。MS−DOSに比して、UNIXは、完成度が低いのと、利用者のための情報が少なく、使いこなすまでに時間がかかり過ぎるためである。利用者の数が少ないので、情報の入手ルートが限定され、知識を持った人も、身につけるまでに長い時間と、努力を必要としたはずである。OSに対する知識の大半は、マニュアルに記述されていることが、その通りに動作するか否かに関するもので、バグの回避方法の知識の有無が、ソフトウエア開発の効率に大きな影響を与える。妙な話だが、コンピューターの利用者は、それを常識として、今日まで過ごして来た。パソコンは、そのような常識をうち破ったという意味で、すばらしいコンピューターであった。
 今、OS/2が、MSーDOSに替わるパソコン用のOSとして、期待されている。しかし、話題になり始めてから、かれこれ三年になろうかというのに、一向に実用化の気配が感じられない。OS/2の先駆者になろうとするソフトウエアハウスが、OS/2のもとで使用するパッケージの開発に意欲的に取り組んでいるが、OSそのものが開発途上であり、UNIXに比べても完成度が遥かに低いので、この調子だと後三年は実用になりそうもない。その間のつなぎにと、若干の話題を提供しているEMSボードも、効用よりも管理のためのオーバーヘッドが重く、これによって救済されるソフトウエアは少ない。こうしてみると、MSーDOSに替わるOSは見あたらないから、当分の間は、機能を欲張らず現在のシステムを使いこなすことにエネルギーを使うことが良さそうである。

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無知に乗じた押売り商法(1989年10月18日)

事の次第はこうだ。人数十人ほどの設計事務所が、構造設計図書の出力をもっと高速に出来ないかと、かねがね高速プリンターを探していたところ、たまたま、ある展示会場で1分間に三十枚を出力できるものを見た。早速、ディーラーに相談したところ、そのプリンターは、EWS4800というワークステーションでなければ接続できないという説明だったので、二百四十万円のプリンターに、五百万円を超すEWS4800をプリンターの制御機として、リースの契約をした。構造設計そのものは、もともとパソコンで行っていたので、そのパソコンからの出力をワークステーションに取り込み、コード変換をした後、高速プリンタに印字させようというつもりで、コード変換のソフト開発をした。そのソフトが、マニュアルどおりに作動すれば、高いプリンターだが高速に出力できるのだから一件落着のはずであった。ところが、初期設定条件の違いか、思ったように印字できなかった。
 ディーラーを通じてメーカーに問い合わせたが、はっきりした返事が得られなかったので、ソフトの検証もかねて、手近にあったパソコンを経由して高速プリンターに出力させてみたところ、きれいに印字できた。その時点で、EWSは、もう不用になったのでディーラーにその旨連絡したところ、急きょメーカーの担当者がやってきて、設定に関しての返答を伝えてきた。しかし、処理用のパソコンの信号の受け方に関して新たな問題が生じたことと、プリンターの速度が三十%も落ちてしまうことに対しては、ついにメーカーもその非を認めた。
 パソコンで制御できるのなら、高価なEWSを使う必要はないと考えるのは、至極当然の事と思うが、既に、リース契約を済ませているので、問題がこじれてきた。しかも、最近のりース料金は、自動引き落としであるから、有無を言わさず引き落とされてしまう。ディーラーは、口約東ではあるが、EWSを引き取ると明言したが、その後の処理は極めて緩慢で、未だにEWSも引き取らず、リース契約の変更もしていないという。
 この事件には、コンピューターのビジネスにまつわるいくつかの問題が含まれている。第一は、EWSがなければ高速プリンターが使えないという当初の説明に嘘があったことである。百歩譲って、メーカーの担当者もディーラーも知らなかったとして、事実が明らかになった時点で、申し訳ないという気持ちにならなければおかしい。第二は、EWSの商品としての完成度の低さである。量だけ多いが内容のないマニュアル、サポート体制の悪さ、ソフトウエアの完成度の低さ等、利用者の立場からすれば、問題だらけのコンピューターである。第三は、リース料金の自動引き落とし制度である。今回の事件のような時、明らかに引き落としのさし止めをしなければならないはずだが構わず引き落とされてしまう。利用者だけが、泣きを見ることになり、メーカーは涼しい顔をしていられる。
 ともかく、小さな所帯の設計事務所のコンピューターに関する無知に乗じて、不必要な機械を押売りするような商法が、当節一流といわれているメーカーと日の出の勢いのディーラーの手によって、白昼堂々と行われて、許されるものなのだろうか。

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利権の構造と科学技術開発(1989年9月8日)

 八月一日未明、台風十二号による豪雨で、神田川、目黒川、石神井川が氾濫し、その流域にある都内各所に浸水の被害が出た。とりわけ西五反田の商店街が床上浸水し、多くの商店に、商品浸水の被害が生じた。本来であれば、浸水の数時間前に警報装置が作動して、住民に警報を出す仕組みになっていたが、装置がなんらかの原因で作動しなかったという。警報装置は、コンピューター管理されているから間違いはないはずだったが、原因を調査するという、品川区役所のコメントが報じられていた。冗談ではない。その装置の発注が、いつ、どのようなプロセスでどこの企業に出され、どのようにして作成され、納入されたか。そして、発注先に役人の天下りがいるかどうか、そのシステムを実際に作成した下請け組織等、まずその事実を明らかにして、調査は、関連の担当者、企業を外して行うべき性質の事故である。システム作成者達の言い訳の報告書などは、この際全く不要である。
 通常、官公庁からのこの種のシステム設置の作業は、年度ごとに組まれた予算消化のスケジュールに従って遂行される。問題の第一は、この点にある。会計検査を無事通り抜けられるための事務手続きが最優先され、技術の質に関する議論がほとんどなされないまま、メーカーにとって都合良いシステムが納入される。しかも、システムの最も大切な技術は、二次、三次の下請会社に任せたまま、せいぜい単体のテストが行われた程度で、時間切れとなり、納品されてしまう。システムが当初の計画どおりに出来ているか否かのチェックよりも、仕様書に記述されている部品などの員数を合わせることを優先する。問題の第二は、何層にもわたる下請構造にある。指名参加の資格を持つ一次業者は、長年の間に、発注先の官公庁との人脈作りを第一に考え、技術の追求は下請企業に任せてしまっている。下請に仕事が渡される都度、大幅な管理費用が差し引かれ、技術開発に必要な予算が、天下り役人の贅沢な生活費に費やされてしまう。わが国を覆う、国会議員から地方公務員までを含めた利権の構造によって国の経済が成り立っているところに救いようのない事故の原因が潜んでいる。行政改革が一向に進まないのも、国の予算を浪費する構造が確立されているからであり、海部内閣が、根本的な改革の緒にでもついてくれればと、期待する。
 話のついでに、海部内閣の科学技術庁長官になった斉藤栄三郎氏が就任の記者会見で、原発の問題に触れ、原発に反対する人は、代替エネルギーについて、提案をしてからにして欲しいとのコメントがあった。こういう人が、長官の科学技術庁という役所は、科学技術の振興を司ることが出来るとはとても思えない。他にないから危険を承知で原発を運転するとでも言うのだろうか。危険のないことを科学的に立証することが、科学技術庁の務めであろうし、単年度予算の積み上げでそれが不可能なら、何年かけても危険のないことを立証するべきである。もし立証できないのなら、国民投票に依ってでも、選択を決めるべき問題である。我われ国民は、危険を承知でエネルギーを浪費し、破滅に向かうほど愚かではないと思う。

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行きすぎがもたらす弊害(1989年8月3日)

 先日、比較的著名な会計処理用ソフトウエアパッケージを購入し、使い始めた。従来使用していたものは、未だに昭和六十四年が表示される以外は、さしたる不便を感じているわけではなかったが、ちょうど決算が終わったところでもあるし、パソコンの機種も余り普及しなかったものなので、故障に対する多少の不安もあって、切り替えることにした。
 物々しい包装と、何冊もの操作マニュアルを見たときに、嫌な予感がした。以前のソフトも、マニュアルの置き場に困るほどの分厚さの割に、内容のない、何か事が起こったとき、開発者側が言い訳に使うために書いたような文章が並んでいるものであった。「マニュアルに書いてあります」ということと、操作する人が読み易いということとは、全く別の事である。米国などでは、間違って操作をしたことが原因で、間違った処理結果になり、そのために損害を受けたとして、裁判沙汰になるという話を耳にする。その時、マニュアルをよく読まずに誤操作をしたのは利用者の責任と主張できるように、ともかくどこかに書いて置くのが、外国流という。しかし、当たり前すぎることをずらずらと書き並べてあるマニュアルを読まされのは、読まないで誤操作をするより損害が大きいと思う。
 事細かにマニュアルを読む気はなかったが、導入処理だけは、始めの部分を読みながら、初期設定のための残高の数字を打ち込んでから、伝票入力を始めた。適用欄への漢字の打ち込みや、その登録は、さすがに五年の差と感じさせるほど、前のものより良くなっていた。ある程度伝票を打ち込んだ時点で、急に出かける用事を思い出したので、電源を落とした。そして、戻ってから先ほどの続きを打とうとして、電源を入れると、データディスクが違うというメッセージを出してきて、どうしてもそのデータディスクを使えない。ソフトの開発元に電話で問い合わせると、きちんと終了処理を行わないデータディスクは、使えないようにしているという。開発元に送れば、使えるようにして送り返すが、二、三日かかるという。昔、中学時代に、ソ連に抑留された先生が、看守から黒パンを余分にせしめるのに、時計のネジを毎朝巻いてやり、決してネジの巻方を教えなかったという話を何とはなしに思い出した。
 パソコンは、少々荒っぽく扱っても、正常に動作するし、よほどの事がない限り、途中で電源が落ちても簡単にデータディスクの修復が可能なところに、EWSや汎用機と違う良さがある。開発者の意図は、データディスクを大切に扱わせようとして、このような仕掛けをしたのかも知れない。コンピューターの周辺では、行き届きすぎて煩わしいことが多すぎる。結局、データディスクの修復を依頼しないで、日曜日に、もう一度始めから打ち直した。
 起こり得る最悪の事態を想定して、予防策を講じることは、建築では近年特に重要視されている。しかし、一方では経済活動のーつとして建築をするわけであるから、自ずから限界は心得ていなければならない。単に、事故が起きたときの言い訳を積み重ねるようなやり方は、安全の追求とは異質の行為である。

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ソフトウエア開発の失敗(1989年6月30日)

 三十年もの間、繰り返されていることではあるが、相変わらず大規模ソフトウエア開発の失敗の噂が聞こえてくる。失敗のパターンは、野心作に多い。
 ソフトウエア開発のスタートに当たって、起こり得る全ての場合を想定し、その全てに対処できるようなソフトウエアの仕様を作成する。その段階までは、極めて順調に推移するはずである。ところが、その仕様に従って現実のコンピューター上で、プログラム開発を行う時に、間違いの第一歩が始まる。目一杯に広げた仕様を、全て一挙に実現しようとする。開発期間を決め、プログラム担当者を割り振り、不足する部分は外注に頼る。社内に十分なプログラム開発要員を抱えていることは、この節、考えにくいから、ほとんどの部分が外注されることになり、社内の要員は、発注、工程管理、仕様の打ち合わせ、納品されたプログラムの検査に追われ、自分目身で開発することは、出来なくなる。プログラム開発の各段階に、当初想定できなかった種々の問題に遭遇する。OSと呼ばれるシステムソフトのバグは、問題の中でも重大である。しかも、新しいシステムでは、頻発し、それが原因で予定していたソフトウエアが完成しなかった場合が多い。主記憶、補助記憶の容量不足が判明し、挫折することも多い。コンピューターに対する過度な期待と、ソフトウエア開発に対する見積りの甘さは、失敗のパターンの典型であり、二十年も前から繰り返しているにもかかわらず今もなお後を絶たない。もっとも、ソフトウエア開発が失敗に終わったということは、決して公表されないし、当事者達以外の人々は気が付かないかも知れない。
 どうしたら、ソフトウエア開発を成功させることが出来るかということであるが、例えば、あれもこれもと欲張った仕様の全体を、三つのランクに分類する。第一のランクは、そのシステムに関して、どうしても欠かせないプログラムであり、想定した全体の一割程度のボリュームとする。第二のランクは、必須とまでは言えないが、かなり重要と思われる処理で、全体の二割程度のボリュームに抑える。残りの処理は第三のランクで、当初想定した全ボリュームの七割に達する。そして、第一のランクのみで、システムをともかく完成させることである。その過程で、コンピューターメーカーの提供したシステムの信頼性や、実際に使用可能な記憶領域など、基本的なシステムの機能を把握できる。完成した第一期のシステムの範囲で実用に供し、第二期の開発と、第一期のシステムの実用上の不具合の修正を並行して行う。
 このようなプログラム開溌の手順を踏むことは、時間がかかるし、とてもまどろこしく感じられようが、ソフトウエア開発は、本来こうしたもので、把握できていないことをー歩一歩把握しながら、着実に進めなければ、決して完成しないものなのである。こうして、ようやく第二期のシステムが実用に供せられる時期になったとき、改めて、当初に作成した仕様の見直しをするべきなのである。とても、当初の仕様全体を盛り込んだソフトウエアを完成させることが、不可能だということがその時に明らかになるはずである。

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新たな公共的事業の期待(1989年6月7日)

 科学技術の進歩を背景にして、我われの生活環境は次第に変化している。同時に、核家族化と女性の就業率の増加は、社会環境の変化を呼び起こし、その変化にふさわしい社会のシステムが求められている。
 今時の若い世代の夫婦の共稼ぎは、何の抵抗感もなく本人達も企業も受け入れているが、社会のシステムとしては、まだまだ整備が遅れており、その分女性の就業を困難にしている。育児の問題を、社会システムとして解決するべき時期にきているか否かの議論は、ここでは触れないが、少なくとも女性が家にいることを前提としたシステムは、我われの周辺にまだまだ数多く残されている。
 先日、上野千鶴子さんが書留郵便について書かれていた文章を読んだ。誰が、いつ受け取ることを想定して書留郵便を送っているのかという。誰も家にいない生活が普通の人にとっては全く不便なシステムが、当たり前のように利用されていることを批判する文章であった。書留を送る方の立場の人は、むしろ好意をもって、わざわざ書留にしているのだが、留守に配達された書留郵便を受け取るには、平日の昼間しか開いていない郵便局に出向かなければならないのだから、大変なことに違いない。二十四時間営業の郵便局が良いか、配送物受取センターを誰かが地域ごとに店開きするのが良いかは、需要と供給の関係で決まるのだろうが、その種の何かが必要だという意識は、まだまだ希薄である。
 上野さんの文章は、電話にも触れていた。電話もその一つであるが、人が常に一定の場所にいることを前提としたさまさまなシステムがわれわれの周りにたくさん配備されている。電話が開発されてから既に百年以上の月日が経過しており、その間、ダイヤルによる自動化、全国に張り巡らされた膨大なネットワーク、音質、大量の送信技術などの技術革新は、百年前には想像もつかなかったであろう。しかし、相手が同じ場所にいることを前提としたシステムであることからは脱却できていない。
 最近、といっても発表されてから既に三年を過ぎているが、ボイスメールという留守番電話の声をコンピューターで受けて、自分に割り当てられたボックスに蓄え、受け手が外均電話器からでも電話すれば、自分の所にかかってきた電話の声が聞けるシステムが、実用に供せられている。返事は、先方のボックスに送られ、先方の都合の良いときに聞いてもらえる。まだ加入者が少ないので、加入料金や通話料金が割高であるが、加入者が増えれば次第に料金が下がるし、利用価値は上がるシステムである。電話をしても相手がいなかったり、いても都合で電話に出られない頻度はかなり高い。伝言をして、今度は先方からの電話にこちらが留守をしてしまうこともしばしば生じる。伝言を頼むということ自体が、誰かいることを想定しているわけで、ボイスメールなら機械が誰かの代わりをするのだから、これはいずれ社会システムのーつとして定着すると思う。ただし、一民間企業が営利事業のーつとして運営するには、採算に乗るまでの時間がかかり過ぎる。

技術者の不足と組織管理(1989年4月27日)

 大手設計事務所、建設業等への建築科卒業の学生の就職希望者が、年々減少していると言われる。本紙でも再三にわたって取り上げられてきた問題であるが、その傾向は止まりそうにない。
 大手設計事務所における技術出身の役員、管理職の日常は、設計技術の向上と次世代技術者の養成等、業として成立するための根幹となるべき設計技術の問題に、頭脳の大半を割けない状態である。企業が存続するために、よい仕事に恵まれることは、当然、必要なことであるから、そのための営業努力を行うことを否定するわけではないが、営業を優先するあまり、技術に専念する技術者を疎んずる風潮に危惧を抱くのである。
 設計は、企画設計を重点に技術環境の整備が行われ、顧客に対する説明用の資料は見事である。その一方で、実施設計は採算を重視して、外注を主体に行うという事業形態では、建築技術の修得を願う若い人たちの共感を呼ぶことはできまい。企業の採算を見るために、社内処理のコストの規準となる単価の設定をどこでも行っているが、その単価に要する時間をかけた数字と、外注の見積り金額とを比較して採算性を云々するのは、余りにも近視眼的な見方と言える。管理者の立場にある技術者が、単に外注物件の工程管理係に成り下がっては、長い目でみれぱ、自己の地位保全さえも出来なくなってしまうのではなかろうか。数多くの技術者の中には、そのよらな才能に恵まれた人も皆無とは言えないが、大半は、建築設計という仕事が好きで、設計作業を行う才を有する人々である。
 組織が大きくなるにしたがって、個人の技術的才能よりも、組織の運営管理に重点が置かれるようになる。しっかりとした技術を持つ専門家集団を裏付けとした組織の管理であるはずのものが、いつの間にか本末転倒して、管理のみで業が成り立つような錯覚を抱くようになる。そうなったときには、商社と変わらなくなってしまうし、それなら、建築技術を専攻した学生より、経済か、商業、あるいは、経営管理を学んだ学生を採用した方が、企業にとっても学生にとっても良いことになる。
 コンピューターが普及し、ハイテクが叫ばれ、今にも人工知能を持つシステムが、専門家を駆逐してしまうと、専門家不要論を吐く曲学阿世の輩が跋扈しているが、人工知能が実用になるのは、早くても三十年先、それもほんの低レベルの技術者の身代わりが勤まる程度のことであろう。長い時間をかけて、ようやく今日のレベルに達した各分野の専門的な技術を大切に継承する次世代の若い技術者達をしっかり育てなければ、その時がきても人工知能に置き換える術もなくなってしまう。
 卒業を控えて就職先を探す学生達に、単に現在の決算書上の数値や初任給の多寡、あるいは、派手な広告をする表面的なかっこ良さだけで、企業の良否の判断をしないように、指導教官から教育をしてもらうことも必要だが、設計事務所や建設業のサイドも、貴重な人材を企業の一時的な都合のために使い潰してしまうことのないように、現状の見直しが必要である。

コンピューター論文の評価(1989年3月31日)

 建築学会の電算機利用シンポジウムが、今年も開かれた。今年からは名称を変え、情報・システム・利用・技術シンポジウムとなったが、内容は例年と変わらず、むしろ例年に比して参加者が減ったのではないかと感じた。
 論文の数からみれば、例年と変わらない程度は発表されていたが、内容の貧弱な論文が目につき、そろそろ曲がり角にきたとの感が深かった。貧弱な論文は、大企業の社員のものに多く、勘ぐれば、シンポジウムの委員を務める上司のプレッシャーによって、論文の数を揃えるために、無理に発表したとも思えるようなものも混じっていた。
 コンピューターは、既に普通の電気製品と同様に、機能の多寡と価格の高低はほとんど関係がなくなり、量産によるコストの低減が価格を下げる主な要因になっている。大企業では、過去に導入した沢山のコンピューターが現在も使われている。汎用の大型機、大型ミニコン、CADシステム、パソコン等導入当時の最新鋭機を次々に導入してきた。導入のいきさつは、各々目的とそれに応じた機種の選定があり、現在までにそれなりの役割を果たしてきたはずである。コンピューターシステムは、業務に利用するには、相当の期間にわたっての準備が必要である。その間にメーカーは次々に競争で新製品を出し続けるわけだから、利用者としては、そうそうメーカの新製品に意を払う訳にはいかない。今はとにかくこのコンピューターシステムを実用になるまでに仕立て上げなければ、という気持ちで没頭しているうちにいつしか月日が経ってしまう。高い金を支払った機械なのだから、良い機械に相違ないという思い込みもあって、周りが見えなくなる。論文の中に、大型機で動かしていたソフトウエアを、EWSで作動させたとか、パソコン上で利用できたという類のものが目についたが、何故それらが論文としてまかり通っているのか不思議な気持ちであった。そのようなことはもはや研究としての値打ちは全くなく、至極当たり前の事実なのである。
 コンパイラーやユーティリティの類の仕様は、パソコンが最も進歩しており、EWSですら既に時代遅れとなったシステムを搭載している。こういう事実は、パソコンと大型機やEWSとの間で、相互にソフトウエアの移植を経験すれば誰もが分かることなのである。コンピューターの価格からしか価値判断の出来なくなった人々にとって、大発見をしたかのように見えることが、世の中一般では、至極当然でしかなくなっている。考えてみれば恐ろしいことである。何時自分自身がそのような立場にならないとも限らないからである。
 現代は、情報過多の時代でもあるが、情報は自分の身につけ、判断し、それに基づいて行動しなければ何の価値もない。建築学会の情報システム委員会も、もう少し幅広い情報と見識をもって論文の採択に当たらなければ、シンポジウムは昔コンピューターを使ったことがあるという程度のお歴々のたまり場でしかなくなってしまう。

構造設計と計算書の見直し(1989年3月6日)

 パソコンの普及に歩調を合わせるように、構造設計家の間に、コンピューター定着した。一人に一台のパソコンを持つ事業所も次第に増えており、もはや電卓並にパソコンが使われるようになってきた。
 かつて、構造計算書を手書きで作成していた頃、一日に十頁書ければ一人前といわれたことがあったが、考えたり、数表を引いたりしながら、平均してそれだけの作業量は、なかなかこなせなかった。今、パソコンを利用して、ニ十種類程度のスラブの計算は、ものの一時間もかからない。しかも、手書きの文字に比して極めて整然とした印刷である。作業の能率は、コンピューターの普及によって著しく向上した。
 手作業の場合、計算書の作成は、予想していた応力が、計算の結果で確認されるという一種の慶びを味わいながら進めていたと思う。構造計画に矛盾がないことを立証するために、構造計算書を作成したわけであるから、計算作業は最低限度にとどめていた。それでも計算に要する労力は楽ではなく、何とか楽に計算書を作成する方法がないかを考えながら進めていた。
 構造計算書の役割は、構造設計のほんの一部分であるから、設計が正しいことが立証されれぱ、計算書は どのような形式でも差し支えはない。従って、計算書の分量で、計算者の能力を表現することは、ほとんど意味がない。一日10ページの計算書は、当時としては書ける人がほとんどいなかったから、ジョークのような意味合いを含め、能力を表す指標として使っていたのではないかと思う。
 コンピューターの出力は、うんざりするほど分厚くなる。コンピューターの利用が一般化した現在の構造計算書の作成業務は、大きな意識の改革が必要である。考えなしにコンピューターを使って計算書を作成すれば、いくらでも厚い計算書が出来てしまう。コンピューターの利用を前提とした今の計算書は、なるべく薄くて、しかも必要なことが盛り込まれているものに値打ちがある。設計者が自身で確認するだけでよければ、計算書としてきれいに製本することも意味がなく、コンピューター内にファイルされていれば十分機能的には満足する。設計図書というものは、他人に見せるために作製するという要素も大切なのだから、第三者が見易い計算書を作ることも設計者の勤めである。その意味からいえば、すっかり普及した一貫設計プログラムから打ち出される計算書は、もはや、計算書とは言いがたいほど量が多く、第三者が短時間に読んでチェックするなどということができる代物とは思えない。
 すべてを打ち出した膨大な計算書の中から、最低必要な部分だけを抽出する作業は容易ではない。打ち出す前に、見たい部材の応力なり、ある点の変形なりをみて、必要な出力を選択できなければ、設計とは言いがたい。結局コンピューターは電卓の領域をわけではなく、設計者の道具でしかない。設計者が振り回されるようなプログラムから出力された計算書ではなく、設計者が判断して、最低必要な部分だけ出力の選択ができるプログラムがほしいし、読む気を起こさせる構造計算書がほしい。

高速コンピューターの実態(1989年1月27日)

 「今度の新製品は、きっとお客様のご期待にお応え出来ると確信しております」。
 三十年もの間、コンピューター会社の営業マンの台詞は変わっていない。そして、旧機種時代にさんざん泣かされてきたユーザーは、「これで従来困っていた問題が、きっと解決するに相違ない」と思い、新機種にリプレースする。そして、次の新機種がでるまでの間、今度の旧機種のトラブルに泣かされる。
 コンピューターの機能が向上し、容量が拡大し、処理速度が上がる。従来は不可能であった処理が可能になり、コンピューターに委ねる仕事が増える。しかし、実際に新たな処理をコンピューターが簡単に受け入れる程には、能力が向上したわけではなく、従来の仕事の範囲内の処理がやっとスムーズに流れるようになったという程度に過ぎない。つまり、ユーザーの期待する程にはコンピューターの能力は向上していないものなのである。
 最近、某大学に鳴り物入りで導入されたスーパーコンピューターがある。目の飛び出るほどに高価なそのコンピューターは、一年たってもまだ動いていない。正確に言えば、先日お披露目をしたそうだから、デモンストレーション程度のことは出来るようにはなったのだろう。担当の教授の書いた文章によれば、八台のコンピューターをそれぞれ独立に動かすことがようやく出来るようになったという。別々に動かしても十分処理速度は速いそうである。そして、八台を連結して使用できるのは当分先の話というから、望みはないということなのだろう。
 日米貿易摩擦の解消のために導入されたスーパーコンピューターだとも言われているから、その使命は既に終わっているのかも知れない。しかしそのスーパーコンピューターは、八台があたかも一台のコンピューターとして動くところに値打ちがあるのであって、八台が独立に動くのであれば、普通のコンピューターとほとんど変わらない。導入の責任を云々するわけではなく、その程度のコンピューターなら、もっと楽に使えるものを日常は使って、そのスーパーコンピューターは、研究用として、動作を止めておくほうが遥かに経済的である。何しろ、電気代だけでも年間一億円を下らないと言われているし、米国製品の保守費用は安いはずがない。
 今、高速のコンピューターを待ち望んでいるテーマは数多いが、工ンジニアリングジャジメントを加えて、コンピューターの負担を軽減しなければ、所詮実用にならない。コンピューターの処理速度の限界値はちょっとしたアーキテクチャ上の工夫や、チップの開発程度では向上しないところまできているのである。
 某大学に、意欲的なアーキテクチャのスーパーコンピューターを、高速コンピューター開発のための研究用に導入することは必要なことであろうし、日米貿易摩擦の緩和のために若干でも寄与するなら名分は立つはずである。ただし、あくまでも将来のための研究用であって、明らかに導入当初の、うたい文句と異なるものを、行きがかりで実用に供してはならない。まして、利用者の目をごまかすような表現でPRを行うことは許されるものではない。

問題多いプログラム検定(1989年1月9日)

 最近、市販のプログラムパッケージの検定を制度化しようという動きがある。
とんでもないことを考えるものである。おそらく、ユーザーからのクレームを聞きかじって、いち早く検定を受けて一商売をもくろむ商売人の話にヒントを得て、考え出された役人の発想であろう。本来消費税導入と一対であったはずの行革どころか、また一つ、検定のための機関が増えることになる。
 プログラムの検定は、実際問題としてどのようにするつもりなのだろうか。利用者用のマニュアルに記載されている事項と、実際に二、三の例題のデータを入力して動作を比較して、相違の有無を調べることは可能である。しかし、そのプログラムの対象となる総てのデータの組み合わせをテストすることは不可能である。検定を行ったプログラムに、その後にバグが発見された時、その責任を検定機関が取るとでも言うのだろうか。その時の検定料はどのように決めるのだろうか。
 プログラムの利用者からのクレームの大半は、バグとその対応にある。ところが、クレームをつけた当の利用者の未熟や勘違いに原因があったというケースも決して少なくない。つまり、プログラムは品質の保証が極めて困難なこと、プログラムは利用者の熟練を必要とすること、この二つの事実を知らない人々が検定などということを軽々しく□にしているのだと思う。
 今、現実に実施されているこれに類する制度が、建築の一貫設計用プログラムに対するプログラム評定制度である。評定受付機関の建築センターに評定を依頼すると、委嘱を受けた学識経験者の評定委員の手によって評定作業が行われる。6ヵ月を超す期間と、申請者の膨大な作業の結果、評定が完了する。プログラムが間違って使われないようにとの観点から評定作業が行われるようであるが、プログラムそのものの信頼性については、走らせた例題以外は触れない。
 評定を完了したプログラムは、利用者にとって建築確認の申請時に、使用ブログラムの内容についての説明が免除される。構造設計者にとって、使用した構造設計プログラムの内容についての説明は困難である。確認申請の受付窓口は、コンピューターで打ち出された膨大な量の構造計算書に、限られた時間内に目を通すことができない。プログラム評定のあるプログラムで作られた構造計算書は、審査をせずにパスしてしまうことが多い。多くの構造設計者は、フリーパスの構造審査に期待して評定済みプログラムを、好んで使用するようになる。
 プログラムの評定制度は、構造物の安全のために作られた制度と言うが、結果的には、危険な構造物を知らぬ間に作り出す危険をはらんでいる。
 今のところ、第三者のプログラムを読みこなす技術が確立していない。プログラムが正しく作られている否かの判断を抜きにして、検定や評定を行うことは、世間を欺くことになる。マニュアルの書式などという二次的な形式が整っていても、肝心なプログラムそのものの保証にはならないということを理解して欲しい。

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