1997年 1月−12月

安全な構造物の実現へ(1997年12月5日)

 構造設計者の構造解析技術の進歩は、神戸の地震を経験したにも関わらず、このところ停滞しているように思える。
 大正末期にウィルソンの撓角法が導入された時、静的震度法に依れば耐震設計が可能になると考えられた時代があった。しかし、多元一次の連立方程式が簡単には解けないことが分かり、長年に亘って略算法の開発に多くのエネルギーが費やされた。昭和30年代には商用のコンピューターが普及し始めるが、初期の段階には連立方程式の解法が主たる利用法であった。ある程度の大きさの多元一次の連立方程式が解けるようになると、撓角法の作表を正しく行うことの困難、作表された係数マトリクスを正しく入力することの困難が表面化する。30年代の後半から40年代の始めに掛けて、構造物の形状から自動的に係数マトリクスを作表する手法が開発され、昭和40年代の半ばには、現在常用されている変形法の数値解析に関する方法がほぼ完成する。当時、開発されたソフトウェアは、非常に優秀な技術者達が自身で開発を手掛けたので、現在に至ってもなお陳腐化することなく利用できる。
 但し、昭和40年代には、これらのソフトウエアが設計の実務に常用できるほどのコンピューターが市販されていなかった。当時のコンピューターは、製造技術が未熟であった為に、上記のソフトウェアが利用できる機械は国に数台を数える程度しかなく、しかも、利用料金は1分当たり何万円という高価なものであったので、膨大な国家予算に裏付けされたプロジェクトを除いては、一般の技術者は到底利用できなかった。
 現行の基準法に採用されている水平震度法は、本来、動的な解析が可能であれば採用されなかったかも知れない、やむを得ない一時的な手法であった筈である。昭和初期の剛柔論争は結局結論が出せないまま、いつしか終わってしまったが、静的解析ですら思いの外実用化が困難であったことを思えば、動的な解析を常時行うことを基準に盛ることができなかったのも、やむを得ない選択であった。
 現在、我々構造設計者の手元には、上記のソフトウェアが常時利用できるコンピューターがあり、しかも当時の大型機とは比較にならない程高速に解析できる。解析モデルのパラメーターを変更して、結果を比較することはその気になれば誰でも可能である。プログラム評定制度に慣れた構造設計者達が、自身で設計した構造物の安全の確認を、様々な角度から行う労を取らないで済ませてしまうのは残念なことである。
 構造設計の手法は未成熟である。手持ちの技術を使って、より安全な構造物の設計を目指そうとする努力が、高い次元の職業意識の保持を可能にする。解析モデルと実際の構造物との距離は、昭和40年代半ばの頃とは比較にならない程近づいている。しかし、そのギャップは、現在のコンピューターを駆使しても到底埋めきれない程大きいことも事実である。そのギャップを設計技術者の経験と労を惜しまない解析の繰り返しで埋め、より安全な構造物の実現に一歩でも近づこうとする努力を怠たってはならないと思う。

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我々に反省促す「亀裂」(1997年11月5日)

 「亀裂」というタイトルの本を読んだ。神戸の地震で大破した建物が、予想を超える大きさの地震のせいではなく、設計と施工の不良に基づくものであったということを、種々の実例を上げて設計施工を行ったゼネコンを告発している本である。前国各地に生じした初期の公害問題を髣髴とさせるような、大企業を養護する役所のあしらいにも触れている衝撃的な書物である。
 従来から、わが国における建築業界には、設計施工という他国にはない習慣があり、その方が設計料は安くなるし、竣工後の雨漏りなどの補修は無料で行うという、ゼネコン独特のセールスに、設計事務所は次第にシェアを食われた結果、次第に民間の建築工事に定着した受注形態である。
 本来、設計者は施主の立場に立って、一品生産の為に、ややもすれば落としかねない建築施工の品質を、技術的な見地から守ることが職務である。戦後の復興期から高度成長期に掛けて、設計事務所が肥大化するに連れ、設計者の能率が云々される風潮が生じた。いきおい、設計者の手抜きとも言える見落としが生じたり、基礎的な技術の研鑽を忘れて効率化に走ると、高価な設計料に見合った仕事ができなくなり、設計施工に理を与えてきた。更に、意匠、構造、設備に分かれた縦割りの専門分化が進んで、建築の空間における3者の競合を事前に見極めることが困難になったことも一つの要因であろう。
 確認申請に必要な書類が、建物を施工するには情報が不足しすぎている時期にも関わらず、工程の上から提出せざるを得ない為に形だけの書類になる。構造家への管理料を渋ると言うような極めて低次元の思惑から、その後に作成された設備その他の設計図書との照合というフォローが無いままに監理業務から外される。開口部回りの納まりや設備機器類、特に各種の配管と構造材との空間争いが生じたときに、既に構造の専門家が不在のまま、場当たり的な結論を出してしまう場合が多い。
 特に、空調設備、電気設備は年々工事費に占める比率が高くなり、建築内部は設備機器類の架台と考えた方がよい程空間的に構造部材と競合しているので、その情報を持たないまま行う構造設計は、非常に危険である。
 「亀裂」に告発されているケースは、ほんの氷山の一角であり、危ない建築はその他にも沢山あると思わなければならないであろう。悪意をもって不良施工を行う手合いは本論の対象ではない。技術の貧困から、品質の悪い建築を生産してしまうような結果になることだけは、同じ建築家の仲間として何とか救済できないものだろうかと思う。
 その為には、設計者の果たすべき役割を忠実に実行するための手段を常々研究し、実践しながら正しい道を歩みたいと思う。そして、設計施工に施主が走らないように、設計者サイドの一層の努力が必要な時期である。今、建築は大きな不況の中にあり、その出口の手がかりさえも見つけられない非常に厳しい時期である。そのような時期にこそ設計技術の向上に心掛けなければ、設計者不要の風潮は益々深く浸透してしまう。その意味で「亀裂」は我々全体に反省を促す秀作である。

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旧作ソフトを活用する時代(1997年10月3日)

 30年程前に、ようやく商用のコンピューターが世に出始めた頃、構造工学を必要とする各分野で、コンピューターを活用した新たな手法が、開発された。有限要素法による構造解析もその一つである。当時の最先端の高速コンピューターは非常に高価で、国を挙げての巨大な予算に裏付けされたプロジェクトでなければ、手の届くものではなかったので、国家の機関が集めた優秀な資質の技術者達がこれらのコンピューターを利用し、次々に有用なプログラムを作成して解析を行った。主として、原子力開発、宇宙開発の分野が先導的な役割を担ったが、航空機、自動車産業から建築、土木の領域にも応用されるようになった。当時は、技術者が、自身でプログラムを作成し、利用していたので、解析の為の最低限必要な機能だけを備えたプログラムであったが、現在から見れば、乏しいコンピューター資源を目一杯利用したそれらのプログラムは、芸術品とも思われる程の作品が多い。ワープロもエディターもない時代には、それら自作のプログラムを利用して、実用的な解析を行うには、入力データの検証に多大な労力を費やさなければならなかったことが問題ではあったが。
 その時代の作品の多くは、米国で開発され、世界各国にコピー代程度の価格で現在に到るまで販売されている。今、それらはパソコン上で快適に作動する。小さい主記憶のパソコンでも、大きな記憶装置を実装したパソコンでも、同じプログラムが使用できる。解析モデルが大きくなれば小さな記憶装置では解析に時間が掛かるが、記憶装置を増やせば、たちまち解析時間は短縮される。
 入力データの検証の為に、図形表示するプログラムを利用すれば、検証し、間違いを修正するサイクルは、驚くほど短縮される。解析結果を読みとって、着目する部分の応力や応力度を図形表示さて見ると、構造物の挙動が解析者の頭の中に躍動する。
 過去に、解析部の細部をあれこれつつく時代が長く続いたが、コンピューターの製造工程が未熟で、性能の割に製品価格が高価であった為に、手持ちのハードを使って何とか結果を得る為の労力の消耗を強いられた結果である。パソコンは、この種の解析者にとっては、既に完成品である。30年前には、国家的なプロジェクトでなければ利用できなかった高性能なコンピューターよりも遥かに高性能な機能が、今では、日常的に利用できる。30年前に開発された高機能なソフトウェアは、パソコンによって、漸く、一般の技術者の手に入ることになった。この30年間は、未熟なコンピューターを利用するために、ある時はキーパンチャーやオペレーターを、ある時はデータエントリーの専門家を必要としたが、今では、解析技術者自身が入力データを作成し、検証し、修正し、結果を眺め、条件を変更して比較する作業を一人で行うことができる。
 コンピューター内のモデルが技術者の頭脳の中に躍動する実感は、自身で操作しなければ得られない。真に、設計実務家とコンピューターとが対話しながら設計を進める時代がきているのである。

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設計技術の改革(1997年9月4日)

 コンピューターは、単に高速な計算処理機能を持つ機械に過ぎない。その本質は今も変わらないが、処理速度の高速化を利用した応用技術が進むと利用範囲が広がり、それに伴って周辺装置の開発が進むと、新たな利用者の層が生まれる。かつて、メーカーの主導で、構築されてきた各社のコンピューターシステムは、今や、利用者が主体となって各社各様に利用技術を研究し、コンピューターの利用を前提とした業務処理の改変が進んでいる。従来、情報システムの専門部署が一種の城下町を形成して外部の利用者からコンピューターを隔離していた利用法から、利用者自らが各自の仕事を改変させる為に、コンピューターを利用するようになってきた。
 自分自身でマウスを操作し、キーを叩いて仕事をしてみると、コンピューターを使うこと自体は端で見るほど楽ではないことも体験する。一寸した操作法が分からなかった為に長い時間を費やしてしまったり、折角入力したデータを一瞬のうちに消してしまったり、こうなるはずだと思った結果が全く違っていて、その原因の究明に時間を取られたりする。しかし、次第に操作に慣れてくると、不思議に間違いの頻度が減って、効率が良くなる。そして、改めてコンピューターの性能の良さに驚嘆する。そのような実務家が次第に数を増してきた。勿論、様々な障壁を乗り越えられずに、コンピューターの操作を諦めてしまった人々も多い。
 非常に多くの部品から成り立ち、一品生産を前提とする建築物の設計方法が、大きな変革期を迎えている。設計図書の完成をもって建築設計者の業務が完結するとは、もともと設計者も考えていたわけではないが、建築の規模が大きくなり、分業化が進むと、自分の担当する図面を書き上げた時点で、その建築から離れてしまう設計技術者も生じる。恐らくその段階では、設備と構造、意匠と設備という専門を異にする設計者間の整合を取ることはできていない。そのようにして作成された図面をもとに施工図を起こして、初めて整合が取れていないことに気付く。それが建築だと、開き直ってしまっては進歩はない。設計と同時に施工図を書き上げる方法はないか、書き上げた施工図に、配管を通すことができれば、構造材との干渉のチェックもできる。
 紙の図面を媒体とした設計の進め方では、様々な職種間の不整合を発見することは、非常に難しい。コンピューターの中に構築したモデルを媒体にして、異業種間の整合を取ろうとする試みは、従前から始まっているが、早い時期に、3次元のモデルから2次元の図形に移行してしまう場合が多い。一旦、2次元の図形に移行してしまうと、もう3次元モデルには戻れない。確かに、全てをコンピューターに委ねるには、現在のコンピューターでは能力不足である。3次元モデルを中核に置き、不足する部分を必要に応じて随時出力する2次元図形で補う方法で、最後まで3次元モデルを維持監理し、少しでも質の良い建築物を完成させることを心掛ける程度が相応である。そのような過程を踏んででも困難な設計技術の改革に挑戦する意欲をもつ設計者に期待するところは大きい。

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新基準に対する要望(1997年8月5日)

 現行の構造設計基準は、昭和55年に制定されたいわゆる「新耐震設計基準」である。前時代の基準に比べて、若干はコンピューターの利用を意識した、構造物の立体的な挙動に対する配慮が見られたが、あくまでも「手計算」による処理の可能性を残した暫定的な基準であった。
 当時のコンピューターは、ようやく16ビットのCPUと64Kバイトを単位としたその数倍程度の主記憶装置、その100倍程度の補助記憶装置からなる程度の能力であったから、たとえ大型コンピューターを使用したとてしても、日常的に3次元解析を前提とした計算処理を行うことは、到底不可能であった。
 それでも、偏芯率や剛性率の算定を行って、設計手段の選択の指標としたことは評価に値する基準であった。しかし、バブル期という異常な社会現象があったとはいえ、構造設計者の多くは、保有耐力の算出という2次元架構を対象とした程度の処理をも嫌って、より単純な処理で済ましてしまう道を選ぶ傾向が見られた。各階毎の平面的な偏芯率を算出しても、所詮はそれだけのことで、構造物の挙動をイメージするにはほど遠い。
 今、コンピューターはようやく構造技術者が使うに相応しい程度に機能が向上した。日常的に、3次元の構造モデルに動的な荷重を作用させて、構造物が物理学の原理に従って忠実に挙動するさまを目の当たりに観察することが可能になった。32ビットのコンピューターを利用して詳細な部分に関する3次元モデルの静的な応力を検討したり、3軸地震波に対する動的な挙動を観察することは、16ビットの機械を相手に偏芯率や剛性率の処理を行う程度の時間的負担で十分可能である。自身の観察したこれらの挙動を、実際の設計に反映させることこそ、構造家にとって本来の仕事であるはずである。
 一方、コンピューターの機能が向上したからからといって、この結果を過信することは禁物である。常に構造家の観察と災害時の予測を重視し、構造家の観察技術を磨く努力を怠らぬような、設計基準が必要である。単純な算術計算をコンピューターに行わせて、それをもって良しとするほど耐振構造技術は単純ではない。確認申請の受け付け事務の煩雑を理由に、プログラム評定制度という不可思議な制度を作り、構造技術の進歩を阻害するような事務処理主導型の基準は、とにかく廃止し、遅れた技術を取り戻さなくてはならない。現在はまだまだ、技術が未熟な時代であり、性能の向上したコンピューターをふんだんに利用し、構造家が精一杯の努力を注いで、ようやく一つの構造物に対する耐震設計が完了するのだということを、肝に銘じた基準であって欲しい。
 神戸の災害の後始末が、未だ終わったわけではない。設計料がどうの、役所の効率がどうのと言う時期ではなく、多くの建築家、構造家が、耐振建築の為に、生涯を捧げても猶足りないとということを決して忘れてはならないと思う。進歩したコンピューターを限界まで利用しても、専門家の判断には到底及ばない。努力を続ける専門家が優れたコンピューターを利用して、ようやく一人前の仕事になる。

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地震記録活用の提案(1997年7月4日)

 6月25日18時50分に山陰地方に地震が発生した。26日の朝刊でその記事を読み、早速科学技術庁のホームページ「K−NET」から地震記録をダウンロードした。全国で1000カ所弱程度の観測地点の情報なので、実際に最大加速度を生じた地点の記録がとれる確率は極めて少ないが、記録採取の即時性は貴重である。例えば、震度5弱の津和野市(経度131.7777、緯度34.4636)で最大加速度がNS方向421GAL、EW方向299GAL、上下方向145GALの実地震波が記録されている。
 最大加速度が大きいからと言って必ずしも構造物の被害が大きいとは限らないが、少なくとも、一応の目安にはなる。又、実際に被害を受けた構造物の検証を、構造設計を行った設計者自身が、数値実験を行い、何故、被災したかを自身で確かめることは容易にできる。
 コンピューターの性能が向上し、構造物の3次元モデルに、実地震波を3軸同時に作用させて安全性を検証することは、2、3日の労力で可能になった。数年前までは、質量集中型の俗に串団子型と呼ばれる応答解析用のモデルを別途作り、それにNSかEWの一軸の地震波を掛けて、応答量を推定するしか方法が無かった。コンピューターの性能が低かったからである。3次元の構造解析モデルに3軸の地震波を同時に作用させるなど、余程重要な構造物を対象に特別な解析予算を計上しなければ、考えることすらできなかった。今、そのような検証方法を、その気になれば誰もが手掛けることができる時代がやってきた。
 構造家にとって難しいのは、そのような検証を各設計物件毎に行った場合、従来の手法に比べて、構造材のコストが増加することである。それを受け入れるかどうかは施主の構造物に対する価値観による。地震の被害を想定した場合の施主の構造物に対する責任感とも言える。又、非常に次元の低い話であるが、法規的に言えば、従来の設計法で、事務的な確認を取ることは容易である。その方が無難であり、確認を受け付ける役所の受けも良いかも知れない。レベルの低い担当官にかかると、建設省からの連絡が無いという理由だけで、新しい設計法の設計図書を拒否されるかも知れない。そのような面倒を掛けても、設計料が増えるわけではないから、目を瞑って従来の手法でお茶を濁す処世術を取る構造家を、筆者は一概に非難することはできない。 但し、検証の結果を見て、施主が将来受けるかも知れない被害に対して、専門家として頼られている構造家が、より良い道具を使用して自身納得できる設計を提案する勇気を、是非持って欲しいと思う。従来、最大加速度200GALで弾性設計、400GALで大きな損傷を受けても倒壊しない程度の設計を目標にしてきたが、鹿児島の川内市は700GAL、今回の津和野でも400GALを越える最大加速度である。その程度の地震は、何時きてもおかしくない。しかも環境としては、誰でも翌日には地震記録が採取できるネットワークが構築されおり、構造家が手を拱いていてはならないと思う。

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構造設計家は何処へ行った?(1997年6月5日)

 「構造設計の専門家は何処に行ってしまったのだろう。」ある役所の構造担当の話である。確認申請の構造設計図書をチェックしていて、つくづくそう思うと言う。一貫計算からの出力に全く目を通さずに製本して提出する。一目でも見ていれば、仮定部材にNGが沢山出ていることに気付かぬ筈はない。設計に疑問を抱いて質問すると、どうすれば良いかを逆に聞かれる。思いついたことを「例えば」と話をすると、その次には、その通りの設計に変えて持ってくる。構造担当者の目的が確認申請を少しでも早く通すことにあって、施主のこと、構造物の安全性のことが二の次になってしまっている。構造設計者としての主体性は何処に行ってしまったのか。専門家としての責任感、仕事に対する誇りはどうなってしまったのかと言う。
 確認申請を通すという行為は、構造設計者にとって設計の過程のほんの一部の仕事でしかない。構造設計者への仕事の依頼は、通常、施主直接ではなく、意匠設計者が行う。意匠設計者の中には、設計料を値切るために、確認申請に必要な書類の作成だけを依頼し、現場監理などは切り放した依頼の仕方をすることもある。戦後50年を経て、高度成長経済、その後の不況期、バブル期、バブルの崩壊を体験し、今は建設不況にある。確認申請の書類さえ作れば設計が完了するという風潮は、既に高度成長期に芽生えていた。申請図書を審査する審査課の仕事は、高度成長期には消化しきれない程の申請書が滞ってしまい、全てに目を通すことができないので、篩に掛ける手段として、プログラム評定制度を発足させた。コンピューターが未熟、設計手法も未熟な時代に、単に事務の合理化だけのために始めたプログラム評定制度は、結果的に構造家のモラルを著しく低下させ、設計不良の構造物を増加させた。
 構造設計者の責任は、建物の寿命の続く限り続く。安い設計料でそこまでの責任は負えないと開き直られては、施主は堪らないし、世間から構造設計家不要の烙印が押される。構造設計家の質の低下を嘆いていても問題は解決しない。如何にしたら構造物の安全を確保できるかを、意匠設計者も、構造設計家も、役所の審査課も、勿論、学会も考え直す時が来ている。
 技術力の不足をコンピューターが補うことはできない。構造設計家はコンピューターを道具として利用し、自己の技術力の向上に役立てればよい。構造設計料の低下を嘆くのではなく、構造設計家として一人前の仕事ができているかどうかを、考え直さなければなるまい。自己の技術力の向上を図り、技術的には素人の役所の担当官を教育する立場でなければ、「銭の取れる専門家」とは言えない。コンピューターは、実務家の使う道具としては十分その役割を果たせる迄に機能が向上した。しかし、技術力不足の技術者の代役を務めるには、まだまだ能力不足である。技術者の役に立たせるために、色々と技術者サイドが工夫を凝らして、コンピューターを育てて行かなければならない時期である。コンピューターに振り回されては、専門家として立ちゆかない。

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物理学の原理に従う基準(1997年5月2日)

 建築、土木の設計基準類は、単純なほど良い。構造物は外力に対して物理学の原理に従って忠実に挙動するからである。但し、現時点では未だ構造物のライフサイクルを通じて、働く外力の把握が十分ではない。わが国においては、地震、颱風、竜巻、豪雪等の自然現象によって生じる外力の他、火災、飛来物等の人為的な現象も構造物に損傷を与える。様々な外力に対する把握技術は、計測器の開発が進み、計測データの蓄積と分類、整理を行う道具類もコンピューターの性能向上と共に年々研究が進み、一頃に比べれば格段に進展している。
 一方、把握が十分でない時点には、その時代において最良と思われた方法で、安全を見込んだ想定外力を定める。個々の構造物に対しては、想定外力を最低の外力とした設計基準類を作成して、制度によって災害から構造物を守る方策を考え出した。しかし、構造物の設計に当たっては、経済的な観点から、最低であった筈の外力を、それさえ満足すれば十分安全であるとの誤解が常識化し、定着する。これは、人為的に構造物を弱体化させる行為である。しかも、時折、制度として想定した外力を上回る自然力を受け、災害を繰り返してきた。
 外力に対する安全の確認の手段も、道具の進歩によって年々進化している。かつては、構造力学の法則が発見されれば、直ちに、安全の確認が行われると考えた時代もあったが、実際には確認の過程に多くの計算作業を必要とすることが分かって、実用上簡略する方法を制度化することも、やむを得なかった。
 現代のコンピューターは、現行の設計基準類が作成された時期に比して遥かに性能が向上している。コンピューターの性能に比べて、土木、建築の設計基準類は時代遅れのものが非常に多くなった。コンピューターは決して万能ではないが、少なくとも災害時の一つの解を得るには、十分な能力を備えてきている。
 制度で縛ること以外の手段を持たない時代に作られた制度に固執することによって生じる矛盾が、数多く見られるようになっている。制度と自然現象は別個の問題であり、構造物にとってどちらが安全な確率が高いかということが問題なのである。制度は一種の権力を生む。そして、様々な利害関係から権力におもねる集団が生じる。学問にも、技術にも無関係な様々な旧弊が、技術の進歩を阻む実例が目立つようになってきた。安全を確認するべき立場の人が、全く技術に無知な場合、条例や、権威に頼ることになるが、そもそも、その人選に問題があるわけで、その点を是正しなければ社会的に妙に歪んだ結論を招くことになる。
 経済的に同等の構造物なら、より安全性の高い設計を良しとすることは当然のことで、その裏付けを行うのが専門技術者の務めである。技術者が労力を惜しむことなく仕事のできる環境を作るためには、権威に頼る制度は無いに越したことはない。
 現行基準類を簡略化して、より物理学に忠実な簡素な技術基準に作り直し、社会システムの充実を図るべき時期に来ている。

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技術革新に向けての課題(1997年4月2日)

 CALS(生産・調達・運用支援情報システム)の実現に向けて、大きな国家予算を投じたプロジェクトが走っている。しかし、その当事者達に、実現に向けた気迫が不足しているように感じられる。
 行政改革の一つの目玉は、無駄な補助金の根絶である。業界と官界、政界が長年の間にいつの間にか築き上げた補助金のバラマキを軸とした癒着の構造は、一般国民から見れば不届き至極な代物である。CALS関連の補助金は、打ち切りの槍玉に挙げられて当然であろう。
 CALSが実現すれば、一品生産を前提として生産された建築物の品質が保証され、完成後長い年月を経た後にも、誰がどのような経緯で使用材料の決定をし、それが妥当であったか否かを立証する記述を閲覧できるようになる。現在わが国で日常的に行われている設計方法、施工方法、管理方法では、到底そのようなことは不可能である。抜本的な技術革新を伴う壮大な計画であり、技術者も管理者も、多くの犠牲を払いながらでも、たどり着かなければならない計画である。従来の不透明な補助金など、いくら積まれても当事者達が苦労を積み重ねなければ、決して到達できない遠い標的でもある。
 CALS実現の最終目標は、企画、設計、施工、保守の各段階に、共通するただ一つの建物モデルをコンピューター内に作り上げ、そのモデル作成の過程を克明に記述してゆくことである。必要に応じて建物モデルを各専門分野の担当者が利用して、作業を行い、その結果をモデルに肉付けをする。いつでも部品レベルまで分解でき、部品の加工がそれで良いかどうかをチェックできる。モデルと実際の建築物は1対1で対応しており、見た目に隠された部分も、モデルを見れば一目瞭然になる。そのようなことができるためには当然モデルを読みとるためのインターフェースを各専門分野の処理ソフトが整えていなければならない。
 CALSの実現は、決して他人のために行うのではなく、業界の存立のために業界各社自体が推進しなければならない重要なテーマである。設計者は、設計技術のレベルを一段と高め、設計のミスを排除して、スムースに施工が行われるような設計を実現する。施工者は安んじて設計通りに正しく施工する。設計上のミスは、できる限り早い工程で発見して、手戻りをなくす。異業種間の不整合の情報は、設計情報に付加されて建物モデルに返され、設計者のチェックを容易にする。そのようなことは当然今も行われていると開き直る向きもあろうが、不整合を皆無にすることの難しさは当事者達の常識でもある。現在では手戻りの責任を、結局は専門業者に押しつけるから、建築の価格が下がらない。そのリスクを設計者が負うなら、現在とは全く異なる建設価格になるし、しかも、専門業者が泣かされる度合いは激減する。
 コンピューターを始めとし、通信環境、それらを扱う人材など、CALS実現の道具は、ようやく一人前に育ってきた。後は、当事者達が、困難に立ち向かう努力をするかどうかの問題である。一時の補助金の有無など無関係に自力で到達するべき目標である。

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「高齢」技術者活用の要点(1997年3月3日)

 高齢者の活用というテーマは、単に建設業界の問題だけではなく、全産業界に共通の難問である。定年を迎えた技術者が、そのまま年金生活に入って、実務から離れてしまうのは、わが国の将来にとって極めて惜しい。とくに、建設業界においては、高度成長期を担ってきた高齢技術者の経験は貴重である。
 その経験は、一言でいえぱ失敗の体験の積み重ねである。失敗の体験は、本人が求めて得られるものではなく、従来問題ないと思われていた処理方法では不適合な自然条件に遭遇したり、一寸した人為的な不注意が原因で、たまたま、体験したものである。内容自体は決して他人に誇るべきものではないので、多くの場合、自己の胸に納めたまま、世を去ることになる。
 いま、コンピューターの性能が、ようやく種々の領域で実用段階に入るまで向上して、一種の筋力を補う能力をサポートできるまでに至った。しかし、知恵、経験、ノウハウに類する直感的能力をコンピューターに期待するのは、まだまだ、当分さきのことである。かつて、計算尺を操り、電卓をたたきながら、「おかしいな」と感じた感性が事故を未然に防ぐ契機となる。数値を追ううちに失敗の体験が記憶によみがえり、処理の不備を指摘することにつながる。その指摘を採用するか否かは、現役の技術者の判断である。そのような立場で、高齢技術者の蓄積された経験を活用する方法を考えることは、今後一層複雑化するであろうコンピューター処理にとって重要である。いまのソフトウエアは、未経験の偏った知識をコンピューターに埋め込んでいるだけで、それを、機械的に処理して良しとしては、極めて危険である。
 すでに、各企業とも、高齢技術者の給与体系については検討に入っているが、高齢技術者側も、過去の栄光に浸るだけでなく、残された人生を後世の人びとの役に立つような、積極的な生き方を模索しなければ、この世に不満が残るだけの余生になる。何しろ、現在の定年時の体力知力は、それほど衰えているわけではないし、なにより定年後の人生が長すぎる。そのまま、若い人びとの負担になるだけでは、日本の国は成り立たない。もちろん、半面に老害という欝陶(うっとう)しさがあっては、若い人びとはたまらない。高齢者は往々にして、自分が仕事をするのに「若い人びとを付けてくれ」というその発想が老害そのものであり、それなら引退してくれた方がよほど若い人びとにとって良い。自分のできることをできる範囲で自ら行う。これが高齢技術者活用の要点である。
 技術的な処理を行うコンピューターの周辺には、過去の失敗に関する知識の欠如に起因する危険が集積している。それを利用する人びとには失敗の体験が少ないため、機械的な処理の結果を鵜呑みにした設計になり、かつて先人が犯した数々の失敗を再び繰り返すことになる。高齢者の貴重な経験を実地に活用することのメリットは大きい。コンピューターによる技術的処理を自ら体験し、電卓をたたいて培った感性に照らして、高齢者にソフトウエアの不備を実感させることが高齢者活用の第一歩であり、将来、更に高機能化の進んだコンピューターに、体験的なノウハウを持たせる可能性が生じる。

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いま、構造技術が危ない(1997年2月4日)

 高度成長期、オイルショック、バブル景気、と続いたわが国の産業界は、過去に経験したことのない円高を契機として、産業拠点の海外流出と外国人の雇用促進を図った。そして、バブルの崩壊と共に不良債権が顕在化して、現在は、すでに先の見えない不況期に差しかかっている。大蔵省、日銀関係者は、景気は緩やかに回復しているというが、大方の国民にその実感はない。高度成長期が長期間続いたことは、技術の質的な変革、つまり、基礎的な研究を長期間続けるよりも、目先の利を追う為の技術に重点を置く傾向を助長した。オイルショックを迎えた時、基本技術に対する取り組みの重要性を見直したかに見えたが、バブル期を迎えて折角の機運が霧散してしまった。
 コンピューターは四十年もの時間をかけて、いま、ようやくそれなりの機能を発揮する道具に成長した。技術者の道具としては、ほぼ完成した商品になった。ここにきて、コンピューターを使いこなす人材の少なさに愕(がく)然とする思いがする。
 コンピューターの機能が不足していた時代にも、モデル化という一種の魔術を使って、実物とほど遠い解析用モデルを考案し、解析し、その解析結果を分析して、なんとか実用に供してきた。それでも、コンピューターのない時代に比べれば、はるかに解析結果に自信が持てたことに満足した。三十階以上もの超高層ビルを五質点のモデルに置換して振動解析を行った時代に比べれば、現代は夢のような高品質の道具に恵まれている。
 地震や台風、火災などから構造物を守り、その安全を確保するための技術者が、技術者として構造物をみる能力を失って、技術の貧困な時代に制定された制度に頼った一種の事務処理に終始して、あたかも技術者として一人前の仕事をしているかのように錯覚をしていては、わが国の技術は危ない。かつて、官と学とが共同して犯した大きな失敗がプログラム評定制度である。未完成なコンピューターに未熟な構造技術を埋め込んで、構造技術者にブラックボックスとして使用させようとするプログラム評定制度によって、危険な構造物が数多く建造された。今又、従来の一貫計算プログラムに加えて、解析プログラムをも評定の対象に加えようとしている。
 行政の改革というのは、国民にとって不必要な制度を整理することによって成し遂げるものであって、技術を事務処理化することにのみ目を向けてはならない。戦後五十年続いた官僚支配の構図が、官僚の腐敗によって、崩れ去ろうとしている。経済の成長の陰で技術の停滞を招いているのは、学を重んじるべき学会が官僚の顔色を伺うのに汲々(きゅうきゅう)として、本質を軽んじた結果の所産でもある。
 いま、大切なことはようやく完成に近づいたコンピューターという道具を正しく利用した、技術の見直しであろう。自動的にでなく、技術者が主体となってコンピューターを使いこなし、建設技術全般にわたって、一品生産を前提とした建設の設計から製造、保守にいたる過程の技術的な見直しである。いまの機を逃すとわが国の技術者は再び立ち直れなくなるほどの壊滅的なダメージを受けることになる。

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国際間取引と国内の商習慣(1997年1月6日)

 先日、米国の計測器メーカーの日本法人に勤める若いSE(システムエンジニア)が、「先週は出張先の工場でひどい目にあいました」と話し始めた。
 「いままで数多く販売して、電子機器の製造現場で実際に使用している計測器に組み込まれているソフトの不具合が発見されまして」。その後始末のために一週間缶詰め状態で、五百本ほどのその部分に関するユーザーソフトを、計測器の不具合を回避するように手直しをさせられたという。最近のことだからユーザーのソフトを素手で手直しするわけではなく、さまさまな検索や修正用のツール類を駆使しての作業ではあろうが、それにしても疲労を伴う大変な仕事であったろうと思った。
 その企業は日本以外に、東南アジアとヨーロツパにも同様の工場があり、不具合についてお互いの対応策の情報交換を行ったそうだが、海外の工場ではメーカー側本部の「ことし二月にはその不具合も修正された新バージョンがリリースされる」ということに期待して、それまで待つという。
 米国のコンピューターを使用してきたわが国のユーザー企業は、過去にこの種の被害を数多く経験している。米国企業の日本法人のSEには、メーカー側が組み込んだソフトは一切ブラックボックスとして提供されるので、不具合に対しては、回避のための方法を提示する程度がサービスの限界であり、ユーザーはその都度多大なプログラム修正のための労力を強いられてきた。「早速本部にレターを出しておきましたから、一ヵ月くらいの間には返事がきます」「例の返事がきました。今度の新製品には盛り込まれるとのことです」。長い時間待たされた末にそのような返事をもらっても、利用者にとっては何の救いにもならない。
 過去におけるこのようなやりとりは、現在ではインターネットを通じて、瞬時に伝達される。若いSEの話は、わが国の顧客の生活の知恵で、この際、罪の償いとしてソフトの手直しをさせてしまえということであったろう。
 このような解決手段は国際的には極めて特異である。わが国独特の顧客に対するこの種のサービスは、海外企業から見れば過剰サービスと映る。その分が価格に上乗せされているともとられる。すべでの顧客に対しては、到底やりきれないことだから、ほかの顧客に知られないように密かに行った行為のはずである。わが国においては往々にして褒められるべき行為と受け取られるが、海外の顧客から見れば、一部の顧客に対する特別のサービスを他の人びとが負担すると受け取られる。
 わが国では当然とされてきたこの種の無料のサービスを、適正な価格に評価して代金を請求する習慣を身に付けないと、国際的に取引を公正に行うことが難しくなる。国内価格と海外価格との極端な差をダンピングと提訴されて、商習慣の違いと片づけるのではなく、わが国における販売価格の体系を根底から改輩しなければなるまい。
 ムラ社会を前提とすれば、心情的には手を出したくなる無料サービスは、他の一面から見れば不当な価格体系と映る。わが国内における商習慣を、国際的に通用するように、意識改革を進める時機がきている

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