1993年 1月−12月

技術に根ざした建設業界に(1993年12月15日)

 先ごろ、中国向けに購入した薬を国内に横流しをしたとの新聞記事を読んだ。輸出向けと国内向けに価格が二重に設定されていて、輸出の価格が非常に低い商品は、薬に限らずカメラ、電気製品などが多い。
 戦後の復興期に外貨獲得の主役として日本の貿易収支を支えてきた商品では、ごく普通に行われてきたこのような慣習が、今も続いていることに奇異を感じる。
 円高と物価高とバブル崩壊後の不況、失業に喘ぐ庶民の感覚に、全く合わない二重価格は、一部の業者のみが潤う制度である。
 大量生産に基づくコストダウンは、確かに経済の一時の繁栄をもたらした。そして今、作り過ぎ、物余りの不況に突入した。先進諸国は全て作り過ぎの物余りに根ざした不況である。この不況から脱出することは容易ではない。生産量を確保するために、海外の市場に期待し、価格を二重構造にする悪習は、早急に止めなければ、影響は後世に及ぶ。
 戦後を今もなお引きずっている制度のほとんどは、業界と官界の癒着に根ざしているものであり、これを監視する市民、消費者が主体となった人員構成の機関が必要で、早急に旧弊を改める制度の改革に着手できないものか。
 日本新党は、規制の緩和をうたっているが、あくまでも業界優遇のために設けられた規制を緩和することに専念するべきで、不況脱出にことよせて、再びバブルの再来を願うような、土地の売買に関する規制を緩和するようなことだけは、なんとしても避けなければならない。そのような小手先の政策で今の不況は脱出できない。
 建設業界の不況も、作り過ぎのビル余剰が原因のひとつであり、土地、建設費が更に下がって、それが物価に反映されるまで、辛くとも我慢するよりない。それほどバブルのつめ跡がすごかったわけで、安易な景気対策で回復できるような単純なものではない。作り過ぎが原因の不況は、当分の間、必要以上の数量を作らないでも成り立つように企業体質を改善するべきである。
 バブルの時代には、建設業界に技術の空洞化が生じてしまったといわれる。腕のある職人は後継者不足で次第に人数が減少し、工法そのものから変更せざるを得ない状態である。しかし、工場生産品の採算は数量に依存する。適度の生産量で採算を維持するためには、機械化のみに頼るのではなく機械と人の手の融合を図らねば成立しない。
 今は、金が世の中を支配する風潮を変え、作る喜びを味わい、良い物を見分ける目を養う努力を尊重する、職人的な土壌を作り上げる好機である。空洞化の原因は、企業もしくは経営者が金儲けを望み、社員に強いたところにある。
 技術者が自分の目よりも、他人の言葉に乗せられてしまう気持ちの焦りがバブルを招いてわけで、技術を磨くことの大切さをいま取り戻さなければ、後世の人びとに、さらに大きな負担を背負わせることになる。「自分一人が良ければ」という発想は、周囲のなん十倍もの人びとに負担を強いているのである。建設業界の諸々の反省が、職人尊重の風潮を再び取り戻すことにつながることを期待したい。

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コンピューターの性能評価(1993年11月24日)

 パソコンの普及と性能の向上によって、いまや汎用機からワークステーションに至るまで、従来主役とされてきたコンピューターは、ほとんど時代遅れの厄介物に成り下がってしまった。
 コンピューターは、次世代のために新たに設計され商品化された一つのモデルが、短期間に開発費用が償却されれば、さらに次の新たなモデルを早く市場に出すことができる。そのサイクルが早いと、次々に性能の良いモデルを販売できる。利用者側からみると、旧式の遅い機種を使って仕事をすると、それだけ仕事の消化に時間がかかるので、同じ労力を使うなら性能のいい機械を使いたいのは当然である。しかも、コンピューターの場合、新しい機種は性能が向上して価格が下がるという傾向が今も続いている。
 建築の設計をコンピューターで行う際の利用効果は、繰り返しトライアルを行うことによって次第に良い設計に至る、シミュレーションに於いて最も発揮される。部材を変え、モジュールを変え、何度も設計のやり直しを行いながら、設計を進めるには、コンピューターなしにはもはや考えられない。それも、性能の良いコンピューターを熟練した設計者が使用して、初めてその効果が発揮される。
 大型コンピューターは性能が高いとか、パソコンよりワークステーションが性能が高いというのは、それらを販売する立場の人々が利用者をだます時に、使う台詞(せりふ)である。売る立場の人にとって、利益が大きいということであって、使う立場に立てば、すでに通用しない理屈のはずである。
 しかし、それでも屡々ころりと騙されてしまう。三次元CADをワークステーションを使って、巧みに建物モデルを操ってみせられると、なるほど早いと、つい騙される。しかし、ソフトにかけるエネルギーを同じだけ投じれば、ワークステーションより、はるかにパソコンの方が早く処理できていることは、知る人ぞ知る真理である。
 ソフト開発は、思いのほかに時間がかかる。パソコン用のソフトの開発を始める時点で、それほどの開発費がかかるのなら、ハードにもっと金をかけてもつり合いが取れるのではないかという妙な理屈が通って、ワークステーションに乗りかえ、数年後にほぞを噛(か)む経験はほとんど公表されないが、事例は多い。
 もう一つの問題は、実用に供された後にソフトの保守にかかるエネルギーの大きさである。利用者からの要求仕様は際限なく続く。保守のために使用するコンピューターは、利用者の使うものに比べて高い性能がないと、仕事が需要に追いつかない。最新のハードを使って保守を行う。コンピューターの性能をにらみながら、改造要求に応え続け、ようやく利用者に満足されるソフトに育つ。
 数年先のパソコンの性能を正しく評価できなければ、ソフト開発を進められない。過大に評価すると動かないコンピューターになってしまうし、過小評価すると、ソフトの仕様は控えめになる。ワークステーションの将来の性能を過大評価した結果の数々の失敗例は、冒頭に述べた単純な経済論理で解釈すれば、避けられたはずである。

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情報用語の氾濫に歯止めを(1993年10月21日)

 コンピューターが普及したために、建築の専門分野の中にも、情報と名のつく研究領域が現れるようになった。
 元来は、設計なり施工なりの人手の作業を助ける手段として導入されたコンピューターだが、業界や企業に長年コンピューターの業務に携わってきた人びとが育ち、ポストが根づくと、時に、手柄を立てるために、目新しい動きをする必要が生じる。そのようにして現れたものの一つが、AIであり、ファジーであり、VRである。
 すべて、コンピューター業界から建築に持ち込まれ、入り込んできた用語である。そして、それらを利用すると何が可能になるのか、技術的に深く追求することもできず、未知の分野へのおそれから、AIシステムを導入し、結局何の効用も見い出すことができないまま、導入責任者に対する追求もなく、そのまま忘れ去られようとしている。
 AIの実用化が、すぐそこにきているような錯覚から、我もわれもとAIシステムに飛びついてから、わずか十年足らずの間に、ほとんど火が消えてしまった。
 専門家の専門知識をコンピューターに植えつけ、専門家に代わって判断をコンピューターに委ねようとすることは、人力で処理していた労働力を機械力に置き換えて能率を上げてきたのとは、本質的に異なる話である。
 次には、ファジーがきた。もともと建築家は、逃げの扱いがうまい。温度や湿度で狂う木材を素材として使ってきたわが国の建築は、伸縮に対して全体に影響を及ぼさないような技術が身についていた。いまさらのようにファジーがもてはやされたのは、コンピューターという、全く融通のきかない未完成の商品を、なんとかだまして使おうとする生活の知恵であって、目新しい技術ではなかったはずである。
 そして、今度はVRである。建築家は、これから建てられる建物を頭の中に描くことができる。そういう能力をもった人が建築家には多いのである。頭の中に描いたものを、施主に対して具体的に見せることが、建築家の仕事である。
 だから、設計図面を引き、パース図を描き、模型を作って建物の疑似モデルで、完成後の姿を他人に理解させる努力を行ってきたのである。VRの技術が、建築家にとって有益ということではなく、建築家が、他人に見せる疑似モデルの一つに利用できるかもしれないという程度のものである。
 玩(がん)具のようなVRのシステムを導入しても、建築家の能力を上回るシステムにはならない。断言して悪ければ、そうなるまでには、この先何十年も努力を積み重ねなければならないと、いい直しても良い。
 現在のコンピューターには、過去に研究した結果を限られた表現によって蓄積することはできる。蓄積されたデータは、人間が考えた量のほんの一部にすぎない。欠落した情報から、思考の過程を類推することも難しい。まして、過去のデータをもとにして、新しい技術を生み出すのはよほど優れた人間でなければ不可能である。
 人間の仕事を若干助けることができる程度がコンピューターの限界であって、コンピューターによって、未知の技術が生み出せるような錯覚を与える情報用語の氾濫(はんらん)は、もうたくさんである。

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パソコン通信普及の効用(1993年10月6日)

 全国にアクセスポイントを持つパソコンネットが、益々活況を呈している。会員数が、五十万人を超え、五百を超すフォーラムに会員が自由に参加できる。
 中でも建築のフォーラムは活発で、二万人の会員が各自の興味のあるテーマにアクセスし、活発に意見を掲載している。メッセージを書き込む人は、個人の立場で自分自身の意見を自由に書き込むことができる。読む人は、ある意見に対して反論することも自由にできるが、集団の場で他人の心を傷つけないような配慮を皆が心がけながらの意見交換は、読んでいても心楽しい。
 このような場を提供する立場、特定のフォーラムを運営する立場、会員としてフォーラムに参加する立場、顔も肩書きも何も知らない同士が、一つのテーマに向かって、専門的な意見を交換できるのは、組織や業界秩序などに縛られがちの現代社会に住む我々にとって、非常に新鮮である。
 建築フォーラムには沢山のフリーウエアのソフトが掲載されている。自分の作ったソフトを他の会員が実用に使ってくれることは、作者の立場としての楽しさもあるし、潜んでいるかも知れないバグを指摘してもらえる見返りもある。大勢の人が使ってみた感想や将来の機能追加に対する要望事項などを、利用者は自由に記載するから、作者の気のつかなかったソフトの欠陥にも気づく機会が増える。独りよがりになりがちなソフトウエアの開発者にとって、利用者の忌憚無い声は貴重である。フリーウエアは、使用料は文字通り無料である。無料で使用した成果物は設計料などのかたちで有料で取り引きされる。一見不合理な、フリーウエアの作者に対する見返りに関しては、今後、利用者側で考える課題であるが、今の所は、著作権を尊重し、感謝しながら利用するという精神的なやりとりに留まっている。コンピューターを中心としたシステムとしては、珍しい形態である。
 しかし、この形態は否応なく急速に普及する。利用者にとって、これ程有り難い方式はない。過去のコンピューターの利用経験からは考えられなかったことである。
 コンピューターが普及し始めてから三十年を過ぎているが、その間、ほんのわずか先に知識を得たものが、他の人びとにコンピューターという商品の名を借りて、ほとんど独占的な商売を行ってきた。高価なハードウエアはそれなりに開発コストも掛かるし、次の商品のための研究も必要である。しかし手品の種を明かせば常識の域をでないようなものまで、特許を取り、利用者の無知に乗じてうまい商売を続けてきたともいえる。今、コンピューターの周辺に広がったそのような商品の手品の種が、パソコン通信という新しい媒体と、それに参加する会員たちによって明らかにされようとしている。
 パソコン通信は、全国一律にほとんど同一条件で利用できる。大都市への一極集中に歯止めをかける作用もする。自分自身が積極的にアクセスするかどうかで、その恩恵を受けられるかどうかが決まる。
 利権も権力も関係のない面白いシステムが普及し始めたものである。

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ソフトウエアの寿命問題(1993年8月27日)

 新しいソフトウエアというものは、初めは個人のほんのちょっとした発想、それも、既製のソフトを日常的に使用していて、使いにくいと感じていることなどにヒントを得て、「こうしたらどうか」というアイデアから生まれる。「こんなものがあったら」、というばく然とした考えを、実際にプログラムを作ってみて、動かしてみて、次第に具現化される。
 思い立ってから実際に動かせるようになるまでの時間は、パソコンの誕生、BASICというプログラム言語の普及によって随分短縮された。自分で作ったプログラムを動かしてみると、色々と手を入れたくなる。修正して、すぐ確かめられるのは、翻訳実行型のインタープリターが実用になってから可能になった。このようにして誕生したプログラムを自分自身でのみ利用している段階と、たまたま自分以外の利用者に使ってもらう機会があって、他人が使う段階とは、世界が変わるほどのギャップがあるものである。
 自分一人の場合には、暗黙の内に決めた諸々のルールを自分で忘れない程度のメモにでも書いてあれば、それで十分である。他人が使うときは、暗黙のルールは通用しないから、メモ書きを分かり易く説明する必要がある。自分一人で使う場合には、多少の不具合は我慢して使えるが、他人に使わせる場合には、その都度直さなければならない。利用者が増えると、我慢できない不具合の量に飛躍的に増大する。
 このようにして、プログラムに手を入れているうちに、プログラムの大きさは、自分一人使っていた時代とは比較にならないほどの大きさになり、どこかを直すと、どこかが壊れるという現象が出始める。
 市販のプログラムがよく売れて、利用者の数が増えると、利用者からの要求事項は、範囲も広がり量も増える。開発者は、要求事項を丹念に間き入れ、プログラムにそれらの要求を盛り込む。次第に機能も増えるし、汎用性が高まるにつれて、パソコンのメモリー、処理速度の限界に達する。そのような状態になる頃のソフトウエアにとっての問題は、一人の開発者の能力の限界に達して、複数の要員が必要になり、分業が始まる。
 分業によって作業者間のコミュニケーションの為のロスが生じ、要員を増やした割に仕事の能率が上がらなくなる。言ったはずなのに、聞いていなかったということがソフトのあちこちで起きると、もはやパニック状態になる。
 いわゆるバグがひん発し、手直ししたはずの保守作業が新たなバグを生み、利用者の日常業務に支障をきたし始める。そのような悪い噂(うわさ)は広がるのが速く、ソフトウエアに対する評判の低下は、開発者への経済的な負担を増やし、ついに破局を迎える。
 折角、日常業務にある程度使えているソフトウエアの寿命を延ばすためには、利用者は機能向上の要求を開発者の状況をにらみながら行う忍耐が必要であるし、開発者も機能の取捨選択には、勇気と決断が欠かせない。功をあせると破局の訪れを早めることになる。数多くの失敗例にもかかわらず、失敗を繰り返すところに、ソフトウエア開発の難しさがある。

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ソフトの利用者を守る道(1993年7月14日)

 ソフトウエア会社の苦境が続いている。この先、いつまで続くか見当もつかないが、すでに倒産した会社も多い。好況時に借金をして株や不動産を買い、バブル崩壊とともに金利負担に耐えかねての倒産というパターンが多い。この手の会社の倒産は、比較的早い時期にくる。ソフトウエア会社の稼ぎは、本来、儲けるという用語は当てはまらない地道な稼ぎである。従って、株や不動産の損を補う稼ぎは到底できるものではない。
 本当のソフト会社の危機は、これからやってくる。建設も自動車もコンピューターもバブル崩壊とともに不況に陥ってしまった。好況時に始めた先端的な研究開発は、ほとんど止めてしまい、それに必要なソフト開発の外注も止めた。要員派遣のソフト会社から借りていたソフト開発要員も、今はほとんど残っていない。
 パッケージの販売も、不況を端的に示している。極端に人員を削減し、なんとか耐え忍びながら、経営を続ける開発会社が増えている。かつて、建築設計用ソフトパツケージの大手に位置づけられ、評判の良かった開発会社が先ごろ倒産した。内情は定かではないが、八百本とも千本とも伝えられている利用者を抱えるパッケージの開発会社が何故倒産という最悪の事態を招いてしまったのか。
 聞くところによれば、たった一人の優秀な開発担当者が、仕事に疲れ果てて郷里に引っ込んでしまったのが原因という。その後をフォローする人材に恵まれないまま、利用者からのバグの指摘や要望事項の対応ができず、次第に評判を落とし、販売が低迷して最悪の事態になったと想像される。
 開発会社が倒産すれば、利用者はいずれも苦境に立たされることに、この会社の責任者は思い至らなかったのだろうか。倒産という事態に直面して、利用者への配慮をする余裕が全く無くなってしまったのだろうが、利用者に対する対策にほん走すれば、あるいは倒産という最悪の事態をも避けられたのではないかという気がする。他人の開発したソフトウエアをドキュメントもないまま、素手同然の状態で読みこなし、保守を行える技術者はそれほど多くはいないが、その気になってほん走すれば見つからないことはなかったはずである。
 ソフトの著作権、所有権に関する議論は、開発者を守るためのものである。これは当然大切に守られなければならないが、利用者を守る議論も必要である。一旦販売したソフトウエアパッケージの保守を引き受けるソフト会社が保守を続けるためには、利用者から相応の保守料を支払ってもらう必要がある。
 保守料を支払ってそのパッケージを使用し続けるか、他のパッケージに買い替えるかは利用者の判断であるが、少なくとも選択の余地があれば、それだけ利用者は救われる。ソフトウエアというものは、常に利用者の役に立つように手を入れ続けてようやく一人前の働きをするのであって、保守を打ち切った以降のソフトはいずれ使えなくなってしまう。
 たった一人の技術者の動向によってソフトが死んでしまうようでは利用者はたまらない。だが、現状はどこも大同小異であり、早急な対策が必要である。

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人とコンピューターの能力(1993年6月7日)

 コンピューターは年々進歩している。処理速度、記憶容量、周辺装置のいずれも前の世代の機械からみれば長足の進歩といえる。しかし、その能力評価に関しては、人によってばらつきが大きい。
 設計事務所に勤めはじめた若い新人に図面の画き方を教え、何枚か画かせているうちに、いつか教えた本人よりはるかにきれいな図面を書くようになる。図面担当者としての資質の問題はもちろんあろうが、それほど長い時間をかけることなく、立派に実用に使える図面を画けるようになる。
 人には、学習した知識の増殖という能力がある。一を聞いて十を知る可能性がある。本人の興味あるテーマの場合、特に著しい。コンピューターに作図法を教え、いずれ自分の仕事に役立つことを期待して、プログラムを作っている時に、あきれるほどの無能に癇癪(かんしゃく)を起こす。何度でも同じことを繰り返さねばならない。わかりきったことと思っても、少しでも端折ればその部分は確実に処理が欠落する。
 人に、来る日も来る日も、同じことをさせれば必ず飽きがくる。そして、いつかマンネリになり次第に能率が落ちる。その点コンピューターは、いつまででも同じことを繰り返す。そういう仕事をさせる助手としては、またとない働きをする。しかも、高速に。人の仕事とは、比較にならない。
 当たり前といっては、身も蓋もない。きわめて当たり前のことが、時折忘れられる。コンピューターの能力を勘違いする。プログラムを作る仕事と、作られたプログラムを実行させる仕事を混同する。あたかも高速にプログラムを作れるような錯覚をする。コンピューターが、高速にパターン認識が行えるような錯覚をする。人の感性に訴えることが、コンピューターに対してもできるような錯覚をする。
 バブルの時代に限らず、それ以前から、大型のソフト開発に取り組んだとの記事は見かけても、それが実用に役立っている記事は、とんと見かけない。ソフト開発というものは、開発前は見通しが甘くなりがちで、実際は予想を大幅に上回るコストがかかる。そして、完成を見ないまま埋もれてしまう。
 開発には、長い時間がかかる。その間に、ハードも基本ソフトも新製品が発表される。記憶容量の不足に行き詰まった担当者は、大容量の記憶装置に飛びつく。処理の速度の不足に悩んだ担当者は、新製品の高速にすがりつく。しかし、やがてそれが焼け石に水程度の機能アップだったことに気づき、呆然とする。能力の不足の程度と、新旧製品の能力差が把握できないまま新製品に飛びつく。その繰り返しは、いまだに続いている。
 人の持つ能力とコンピューターの能力との違いは、十分にわかっているつもりでも、いざ自分がその立場になると、見えなくなる。まだまだ、人にとって代わるコンピューターは当分でてはこない。人の能力の極く一部を補う程度にコンピューターを位置づけ、人がコンピューターのお守をするシステムが実用になっているに過ぎない。
 建築の設計から施工に至るまで多くのシステムが使われており、不足を託ちながらも、少しずつ丹念に不備を直し続け、振り返ればなるほど結構役に立っていると思うシステムが本物である。

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重要な自動作図プログラム(1993年5月19日)

 CADの普及とともに設計者の役割が少しずつ変化している。かつて、手書きの図面が主体のころ、図面を書くことに設計者のチームの労力のかなりの部分をとられ、できた図面を施主にみせて説明している途中に、施主から設計図面の変更を要求されると、なんとか変更しないですませるように、頑なな主張をする設計者がいたものである。
 施主にしてみれば、自分がイメージしている建物の説明を当初設計者にして以来、初めて具体的な設計図という姿で建物を見るわけで、設計図ができたということと建物ができるということは、全く異なる次元のことで、設計図面の段階であればいつでも変更は自由だと考えている。だから、頑なに自己の主張にこだわる設計者の態度に接すると、施主は非常に戸惑うものである。
 頑固さの原因が、もう一度すべての図面を書き直さなければならないことにあるとすると、これは設計者として、もうー度原点にたちかえる必要がありそうである。
 施主は、立派な設計図を望んでいるわけではない。自分の望む建物がきちんと建つことを望んでいるわけで、設計図面はあくまでもその第一段階と認識している。施主が納得できるように、説明することが必要であるし、そのためには設計図面の書きかえの労力などにこだわっては本末転倒になる。
 建築の業界にもCADが普及し、手書きの図面に対するCADで書かれた図面の比率は年々増え続けている。CADで書けば、作図の能率が飛躍的に向上するであろうとは、利用者の導入に先立つ期待であるが、実態は作図の効率が向上するまでには至っていない。せいぜい、変更に対処しやすいというところに導入のメリットを見いだしているのが現状である。
 今、建築の設計に利用されているCADは、ほとんどがいわゆる汎用CADである。汎用CADの場合、操作方法の習熟に時間がかかること、習熟後の操作技能のばらつきが大きいこと、作図効率の向上に限界があることなどの理由から、手書きの作図効率を大幅に上回ることはほとんど期待できない。
 これに対して、以前から大幅な作図効率を期待されながら、ソフトウエアの保守などの難しさ、ハードウエアの機能的な限界から完成度に問題があって、もう一つ普及していないのが専用CADである。
 専用CADは自動作図CADとも呼ばれ、汎用CADの持つ欠陥をほとんどカバーしているほかに、建築物のデータベースとしての機能を持ち、設計データを施工のデータに機械的変換によって転用できる可能性を持っており、将来の設計ツールとして、設計者の作図に要する負担を大幅に軽減できる。コンピューターの機能の向上とともに、ソフトウエア上の問題も次第に解決しており、利用者が増大するにつれて完成度は大幅に向上している。
 今のところ、自動作図の範囲は、設計図の中でも構造図、意匠図、設備図など目的に応じて分かれているが、各システム間のデータの転送が行えるから、設計図の書き直しの労力は大幅に軽減できる。
 図面の書き直しを厭わなくなれば、施主を満足させるための設計者と施主の会話も設計図を道具としてスムーズになると思う。

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自動図化へ本腰を入れる好機(1993年4月13日)

 建築の業界にもCADが普及した。手書きの図面に対するCADで書かれた図面の比率は年々増え続けている。設計から施工に至る建築生産の流れの中で、各段階でCADが使われる。
 CADとひと口に呼ばれるシステムは、二種類に大別される。一つは汎用CAD、もう一つは専用CADもしくは自動作図CADと呼ばれるものである。
 今、ほとんどのCADによる出図は汎用CADによって書かれたものである。専用CADは、今のところ、汎用CADの下図を書く目的に使われている程度にしか使われていない。
 コンピューターの本来の機能からすると、建物を構築する部品の定義データ、部品の配置データ、さらに細かいオフセツトの指定データなどを蓄積すると、作図ルーールの論理に従って自動図化させる方が自然である。
 ところが、現在のコンピューターの能力と作図の仕様をプログラムするのに要する能力との対比は、圧倒的に後者が大きい。過去に、自動作図プログラムの開発を試みた各社は、コンピューターの能力の過大評価による作図仕様の巨大化のために、その完成を見ること無く、中途半端なままお蔵入りとしてきたものが多い。
 一品生産を前提とする建築物の仕様は、住む人の生活様式の多様化とともに広がるので、際限がない。建築物の仕様と使用可能な材料との組み合わせを設計図面に表現するわけで、設計者の意図を入力して、設計図面を出力する道は、まだ遠い。現在、建築設計者の労力の大半を占める仕事をコンピューターに委ねることになるので、設計者の気持ちの上での反発もあり、難しい面も多々あるが、いつまでも汎用CADに頼って、作図効率と作図データの転用価値の低いCAD図面を書いていても、この先のゆき詰まりは目に見えている。
 一度にすべての情報を取り扱うのは、コンピューターの能力からみて不可能であるが、構造躯(く)体、設備機器、仕上げ材と、その納まりという程度に分割し、分割されたシステム間で共通する情報の転送ができれば、自動図化システムの実用化に一歩近づくことになる。
 設計情報の多様化とともに、設計者個人が保有する設計に必要な情報ば、溢れる程に大きくなり、個人レベルでの管理が次第に困難になっている。惰報というものは、常にリフレッシュしていなければ陳腐化してしまうので、共通に使える情報はなるべく共有し、設計者個人で管理しなければならない情報のみを個人が保有するようにして、情報の価値を高め、設計に寄与させるためにも、いつまでも作図そのものに労力を使っては、設計の質の向上につながらない。
 作図ルールそのものの検討も必要である。設計者自身が考えるために作図する要素もあり、単に図面が書ければ良いというものでもない。
 自動図化への道は遠いが、使い始めた時の効用は計り知れないほど大きい。建築生産の合理化、一品生産の建築のシステム化が叫ばれている今日、自動図化に本腰を入れる好機と思う。仕事そのものは決して派手ではないが、将来のために重要な位置づけであり、汎用CADでお茶をにごす風潮に歯止めをかけたい。

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ソフトウエアの抱える問題(1993年3月17日)

 ソフトウエアがパッケージされて、市販されるようになって、コンピューターの利用が急速に普及した。かつて、自社開発のソフトウエア以外コンピューターを活用する手段がなかった時代からみると、ソフトウエアの信頼性も見違えるように向上し、コンピューターが日常業務のあらゆる分野で、利用されるようになった。ただし、価格体系や保守体制という観点からみると、ソフトゥエアの場合、普通の商品と根本的に異なる要素を抱えている。通常、一つの新しい商品が開発され、次第に普及するとき、開発期、試作期を経て大量に普及するに至る過程は、一つの定型的なパターンがある。手作りの時代から商品化が進むにつれて、量産の部品を組み立てて製品を作るようになり、一度に生産する数量が多くなると、販売価格を大幅に下げて販売できるようになる。利用者の立場からすれば、ある程度価格が下がると急に購買意欲をかきたてられる。そして、その商品が普及する。家庭用電気製品も、自動車も、アルミサッシもそのような過程を辿って普及してきた。そして、同じ商品の中にも、普及品から高級品までの何段階かの商品が生産され、高級品は普及品に比べて高い価格であっても、消費者に納得して買われる。
 一般に、商品化の進んだ商品は、良いものは高い値で取り引きされ、多少質が悪くても、価格が安ければ我慢する。これが常識である。
ソフトウエアの場合、その常識が通用しない。通用するほど普及していないというべきであろうか。価格の高いソフトウエアが必ずしも品質が良くないし、安いからといって品質が悪いとはいえない。
 開発の終わったソフトウエアは、生産コストにあたる費用がほとんど発生しないので、営業費用をかけないで大量に売れるパッケージは、開発費の負担が低くなり、安く販売できる。逆に、マーケツトが限定され、ソフトウエアの存在そのものをアピールすることが難しいものは、販売費用もかさみ、高い値段でなければ販売できない。販売量が少ないと、ソフトウエアに不可避の、バグの洗い出しに時間がかかり、未発生のバグを抱えたまま販売されることになる。
 ソフトウエアの品質に関しては、利用者は、自分の目で判断するよりしかたがないが、外観では見えないだけに、自身で使ってみて、うたっている機能の正しさ、操作性、なじみ易さなどを評価してから購入したいところである。
 バグの発生したときの開発会社の対応などをどのようにしたら知ることができるか。これも、なかなか難しい。ソフトウエアの開発が、担当者個人に依存するだけに、開発した技術者が退職した後のフォローは、ほとんど絶望的である。この不況で、倒産するソフト会社が出始めているが、高い金を支払って購入したソフトウエアが、折角なじんで、使い心地が良くなったときに、使えなくなってしまっては、利用者はたまらない。
 ソフトウエアが普及するにつれて、今まで、見えなかった問題が表面化してくる。それらを乗り越えて、本格的な需要期を迎えることになる。

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職に殉じる気持ちを大切に(1993年2月8日)

 つい先日の全国紙の投書欄に、ソフト会社の経営者の投書が掲載されていた。会社は不況のあおりでピンチに陥っているという。そして、「何も悪いことをしたわけでもないのに、借金を抱えて苦しんでいる」とぼやいていた。
 起業家というものは、外況の変化には常に耳を澄ませて、不況の余波を最少限にくい止める努力をしなければならない。それを怠ったことは、起業家としては悪いことをしたわけで、それのできない人が業を起こしたこと自体が悪事であるという認識が不足していると思う。
 政治家が、なにも悪いことをしていないという話もよく耳にするが、国民のために良いことをしない人が政治家になること自体が悪いことなのではないか。
 天職という言葉がある。個人個人にとって天職は異なって然るべきであり、一旦職に就いたならば、その職に殉ずる気持ちは職の如何を問わず、常に大切なことである。悪いことをしないのは、人間として生きていくのに最低必要な条件であって、誇るべきでもなんでもない極当たり前のことである。
 近ころ、年功序列で企業の経営者になる人もいるが、経営者としての自覚のない人がその地位に就くことは、企業にとって不幸なことである。自分の定年まで、無事勤めさえすれば、その後は、どうなってもかまわないと考える経営者に率いられた社員たちの悲惨な姿は、今もなお後を絶たない。たとえ在職中には苦しんでも、自分が引いた後、企業の業績が向上するように努力するのが、経営者の勤めである。
 つい先ころまでソフト会社は不況知らずといわれ、他業種からの参入が続いた。そして、一時期それなりの業績をあげていたのが、ここにきて不況の大波を被った。再び、かつての好況を望むなど虫がよすぎる。
 今の不況は、単にソフト会社だけのものではない。殆ど全ての業種に亘っての不況であるから極めて深刻である。バブルの時代に上がり過ぎた土地の価格、それに引きずられて、値上がりした建築費、高騰した家賃、関連したインフレは、国際的にみても異常である。その異常さの故に苦しんでいるのは、結局、すべての国民なのである。
 不況のために高い家賃のビルの空き室が目立つようになった。高すぎる家賃に見切りをつけて、より安いピルに移るのは当然で、自然の流れである。出られて困れば家賃を下げてでも引きとめるのは、貸しビル業の自然な行動である。建築費が高かったから高く貸さなければという皮算用は、すでに通用しない。不動産業にとっては深刻な事態であろうが、テナントにとっては多少条件はよくなる理屈である。
 首都圏で仕事をするときの問題は、高すぎる土地の価格とそこから派生する異常な物価高である。だから不況脱出の為に安易な公共投資の前倒しや補正予算の追加などという目先の対策では、将来の日本経済の方向は見えてこないのである。政治家諸氏は、個人の蓄財や派閥の抗争などにかまけていないで、もっと時間をかけて、国民が安んじてそれぞれの職に殉じられるような、レベルの高い社会形成のための尽力を望みたい。

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ソフトウエア企業の不況(1993年1月13日)

 ソフトウエア会社が軒並みあぶないといわれている。千人もの社員を抱える企業の経営危機は、新間紙上を賑わせているし、数人の技術者が仕事をする小規模なソフト会社は突如消え去るところが出始めている。二年前には、空前の好景気をうたい、各県のテクノパーク構想の主役として、豪華な研修所、研究所の建設を行ってきたことからみると思いもよらぬ様変わりである。
 そのころ、開発を必要とされていて、手の忖かないソフトウエアが、各業界に山積みされていて、その量は業界ごとに数千万ステップに及ぶといわれていた。それらをこなす要員は数百万人の技術者が必要といわれていた。バブルがはじけ、景気の落ち込みとともに、ソフトウエアのバックログも泡のように消え去ってしまったのであろう。
 ソフトウエアというものは、企業にとって作業の合理化、新技術開発の中核であるから、そう簡単に、必要な開発を中止することは本来ならあり得ない。あれはどの人材不足が、なぜ急速に大量の余剰人員を抱えるようになったか、考えられる原因を挙げてみたい。
 第一に、今になって振り返ってみると、当時どうしても必要だと思われていたものが、実は、もともとそれほど高い必要度のソフトウエアではなかったということである。予算が、潤沢にある時には、あれも欲しいこれも欲しいと思い付くさまざまな機能が、予算が絞られて再考すると、市販のパッケージで十分に間に合うということが分かったり、従来から使っていたソフトをもう少し使って、開発時期を先に延ばしてもさほどの支障がないことが分かったりする。
 第二に、ソフトウエアの開発に携わる技術者が、不足しているという時期には、要員を確保するために、必要以上の手配を行う。逆に、余剰人員が出始めると、必要に迫られるまで手配を控える。いわぱ、架空の需要に踊らされていたことになる。
 第三に、ソフトウエア開発が、なかなか予定どおり進まず、予算を大幅に超過してしまって、開発そのものを打ち切らざるをえなくなったこと。いずれも、当時は気付かなかったか、気付いても止められなかったかの原因が、潤沢な開発予算を前に、熟慮を怠っていたとしか思えない。
 今の不況は、金融、自動車、建設、コンピューターとソフトウエア需要の大所の業界が、同時に見舞われたわけだから、その影響の大きいのは当然である。
 これらは、利用者側の事情であるが、ソフトウエア企業側の問題は、さらに大きい。
 過去においてソフトウエア各社の社員は、利用者の期待する専門技術を備えていたか否か。少なくとも備える努力をしていたか否か。頭数を揃えるのに汲々として、適性の有無にまで気が回らなかったし、親身になって技術者の養成を行っていたといえるかどうか。好況に甘んじて、不断の努力を怠っていたつけが、今、不況になって顕在化したといえよう。
 今後、さらに激しい淘汰が行われることになるが、かつて不況を経験したことのなかったソフトウエア業界にとっては、むしろこの不況を良薬として、真に利用者の役に立つ技術の修得と人材の養成に努める好機ともいえる。

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