1995年 1月−12月

ウィンドウズ95の影響(1995年12月4日)

 ウィンドウズ95の日本語版が発売になった。その夜(11月23日午前零時)の秋葉原は、若者たちで大晦日のような賑わいであったと報道されている。これは基本ソフトだから、すぐに利用者の何かに役立って使えるというものではないので、実際に威力を発揮して実用上の変化が表面に表れるのは、二年後とみてよい。
 建築の構造解析の方法は、コンピューターの普及後三十年を経た今日まで、さほどの変化が見られなかった。手計算で行っても可能な計算を、コンピューターを使えば、計算のための労力が省かれるという使い方が主流をなしていたからであろう。構造物の解析法としては、コンピューターのお陰で変形法が普及した連立方程式の解析に要する時間は大幅に短縮されたから、従来の鉛直時の固定法、水平時の武藤式略算法の組み合わせによる応力解析法は、次第に陰を潜めた。その程度の変化はあったが、現在の設計基準は、相変わらず手計算でも可能な範囲に止まっている。
 コンピューターの性能の向上によって、解析可能な構造モデルはその範囲を大幅に広げているにもかかわらず、日常の設計には相変わらずの手法が使われている。
 構造設計を行う専門家は、設計にかかるコストの削減のためにコンピューターを用いようとの意図が強い。確認申請を通りやすくするために、評定プログラムを用いて、それらのプログラムの制約に適合するように、構造モデルをつくり、これを意匠、設備の設計者たちに強要する。構造屋は頑固で困るという風評がしばしば聞こえてくる。
 構造物の安全確保のために頑固なのは当然必要な行為であるが、自分の労力を軽減するために施主にプログラムの制約まで回避するように押しつけるのは職務に怠慢である。施主のために、頑固な主張を行政にぶつけるのが、職に忠実な行動であろう。その行為の繰り返しが、技術を磨き、きたるべき情報革命の時代に耐えうる適合性を身につけることになる。
 パソコンのハード的な性能は非常に向上した。ウィンドウズ95の普及により、ソフト的な性能も数年のうちに飛躍的に向上することが予想される。非常に優れた性能のコンピューターを誰もが手元に持ち、構造家の努力次第で自由な構造モデルの解析を行える日がきた時に、急に慌てても何も変わったことはできない。そして、何も変わらなければ、構造家の存在価値自体が世のなかから失われることになってしまう。何故なら、コンピューターの性能が向上すれば、構造家でなくてもいま現在多くの構造家がこなしている程度の仕事なら、楽にこなせるようになってしまうからである。コンピューターが日常の道具として構造家の手元で使われるようになってから、手計算の能力や結果を予想する能力は大幅に衰えている。コンピューターという素晴らしい道具を、構造家のまたとない優秀な友として使いこなすか、優秀な道具に頼って安楽に暮らしてしまらかは、各自の判断であり、選択も自由である。しかし、正念場はすぐそこにやってきているという危機感がなければ、所詮、情報革命の犠牲者の運命を辿ることになると思う。

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モデル構築と利用の推進(1995年11月16日)

 コンピューターを使用して構造物の解析を行い、設計図を引き、部品の製作を行い、現場に搬入し組み立てるという一連の過程において、コンピューター内に構築するモデルは数多い。過去におけるこの種のモデルは、主として、コンピューターの機能的な制約からモデルの利用目的に応じて、構造物の形状、材料などのうちから必要最小限の要素を入力して使用してきた。従来のコンピューター内のモデルは、目的別に構築され、狭小な記憶領域を有効に活用するように配慮されていた。その結果、一つの構造物が、いくつものモデルに分かれて表現されてきた。しかしそれでは、苦労して構築された一つの処理目的のためのモデルが、一度使われただけで捨てられてしまう。次の工程のためのモデルは、全く別の入力者によって入力され、以前同じようなモデルを入力した人がいることすら意識しないで新たに単一目的のための入力をすることになる。
 モデル構築のための入力作業は、決して楽な作業ではない。モデルを正しく構築するということがいかに大変な作業かという事実は、意外に知られていない。場合によっては、正しく入力されないまま結果が算出されている場合も多い。
 安全解析に必要なモデルと製作に必要なモデルでは、構造物の形状を定義する部分は共通に使用できる。ただし、製作に必要な形状の定義はそのモデルから部材を加工するのに必要な情報をすべて取り出せなくてはならないので、モデルの幾何学的な情報の精度は、解析用に必要な情報に比べてはるかに高い。解析結果にはある程度の安全率が暗黙のうちに含まれているので、安全解析に必要な形状データについては部材はすべて芯に取り付けられるとの前提を置いても差し支えないとされていた。このような微細な前提の相違はあっても、本来共通に使用できる情報と、一方では必要でも他方では全く必要ない情報があり、情報の共有化には幾多の障害が横たわっているが、構造物が設計され、施工される過程と、パソコンの性能向上とを考え合わせると、そろそろ共有化を図る時機が到来したのではないかと思う。解析に使用した構造モデルのうち、製作に不要な部分はそのまま残し、新たに必要になった部分のみ入力することができれば、各段階での入力作業が軽減されるだけでなく、前段階でのデータの間違いの発見もできる。製作用に作られたモデルは、解析に使われたモデルとは時間経過があって、その間、さまざまな仕様変更が行われている。モデルのフォローを怠らなければ、部材が製作され、立地に搬入され組み立てが行われるころには、解析時のモデルは面影もないほどの変更が加えられる。
 最後に、部品の製作にかける直前にもう一度解析をし直したいと思うのは、筆者のみではなかろうと思う。その時には、現物と同じモデルがコンピューター内部に構築されている。現在のパソコンは既にそのレベルまで高機能化されているから、原理的にはデータの一元化は可能である。ただし、データ構築を正しくできる入力者、構築されたモデルを使いこなす技術者が不足し、その養成が遅れている。まず、始めなければ人は育たない。

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真実への努力、災害を防ぐ(1995年11月1日)

 技術者の使うコンピューターの能力と、技術者の持つ能力との関係は、このところパソコンの急激な進歩によって、ようやくバランスのとれた状態になった。技術者の能力は、過去の努力の積み重ねによって、非常に大きな差を生じているが、あくまでもトツプレベルの技術を保持し続けている技術者に限定しての話である。
 阪神大震災で被害を受けた構造物の修復のために、種々の構造解析が盛んに行われている。解析にパソコンを利用する頻度が非常に多くなってきたことは、パソコンの能力に対する誤解が、次第に改まってきた証拠でもある。
 構造解析用のソフトは、すでにー九七〇年代の前半にはあらかたの骨格ができあがっており、その後の利用対象ごとに付加された微細な機能の改良は、むしろソフトの汎用性を失う結果になっていたともいえる。原子力産業向け、航空機設計向け、建築土木の振動解析向けなどに、各分野の専門的な研究を盛り込んで、各分野の利用者のみの便宜を図ることにエネルギーが消費されてきた。過去における構造解析は、膨大な国家予算に裏付けされたプロジェクト以外には、一般の構造技術者が使うことはできなかった。
 パソコンはすでに32ビット機の全盛である。そのメモリー空間をフル活用するソフト環境が次第に整い、二十年以上前に開発された数々の名作構造解析ソフトが、ようやく日常業務の道具として、一般の解析実務に利用できるようになった。16ビットの環境でこの種のソフトを使う場合に演算に一時間かかっていた解析モデルが、32ビットの環境では一分弱で終了する。この差は、解析を担当する技術者に、非常に大きな影響を与える。解析モデルをつくり上げた直後にパソコンに解析を指示して、一時間後でないと結果が得られなければ、それまでじっと待っているわけにはいかないので、別の仕事に掛かってしまう。そして、結果を見たときには、解析モデルを構築していたときに考えていたことが記憶から遠のいてしまう。それに比べて一分後に結果が得られるなら、パソコンの前を動かずに待っていられ、結果を見たときにモデル構築時の結果の予測と対比して考えることができるから、解析モデルを変更して再度解析を繰り返すことがごく自然に行える。
 このような解析環境を得て、実際にパソコンを操作しながら思考を繰り返す技術者の技術レベルは非常に向上する。それに引き替え、自身で操作をせずに、操作技術者に操作を依頼してその結果だけを眺めている技術者の技術レベルは停滞する。前者と後者の技術レベルの差は当然拡大する。ここでいう技術とは、構造解析を行う技術者に限定してのことであることはいうまでもない。
 阪神大震災の被害を繰り返さないために、関東周辺では耐震診断が公共団体から発注されている。単に事務処理を満足するだけの書類を揃えることが耐震診断業務ではなく、コンピューターによる解析と技術者の思考を繰り返して、少しでも真実に近づこうとする努力が、災害の繰り返しを防ぐことに通じるということを公共団体の識者たちに理解してほしい。

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CALSのための基盤整備(1995年9月28日)

 パソコンが日常のビジネスに定着してくると、次第に利用範囲が拡張し、技術者個人が単独に利用するだけでは、技術者の仕事のための情報量が不足してくる。手作業の時代との相違は、関連する仕事に携わる複数の技術者が、互いのコンピューター内部のデータを介して会話を行う点である。ごく限られた範囲のコンピューターネットワークの需要が生じ、定着する。
 複数の人がひとつの物件を分担する場合、従来なら紙に書かれた又章や図面を指し示しながら説明し、質問し、議論をする。コンピューターを利用した設計を分担する場合は、打ち台わせのための資料を作成するのは、手作業のときに比べて負担が大きいし、説明用の資料はどうしても量が増えるので、読む方の負担も大きい。各人が共有している情報に予め目を通しておけば、簡単な質問書を作成すれば用が足りるし、質問書そのものも前もって読んでおくことも可能であろう。ここまでくると電子会議そのものに発展する。
 設計の場合、文書よりも計算書、図面による情報が多い。計算書の場合は、計算書を作成するソフトウエアと計算条件を記述した入カデータが共有するべき情報になる。計算された結果は、チェックを目的とする場合は別として、何時でも結果が出せるなら必要な時に結果を見れば良いことになる。図面を自動図化ソフトを用いて自動的に書かせる試みは、なかなか実用化の段階に至らないが、将来は、自動図化のための入カデータが共同作業者の共有するべき情報になる。
 汎用CADによる作図はこの十年の間にすっかり定着した。しかしこの作図は、手作業による作図と本質的には変わらないので、作図の効率向上には限界がある。自動作図の場合は、一枚当たりの作図効率が非常に高い。ただし、利用者は作図効率が高いことを意識してスケジュールを立てるので、プログラムにバグなどがあるとパ二ックの状態になる。ISDNによる高速通信は、大量の情報を短時間に送受するには効果が大きい。
 例えば、遠隔地の利用者が作図の最中に何らかのソフトの不具合で作図不能の状況に陥ったとき、双方にISDNの端末を装備したパソコンがあれば、利用者の入カデータを直ちに取り寄せることができる。そして、現象を再現する。現象の原因を解明する。ソフトに原因があれば修正する。現象が収まったことを確認する。修正されたプログラムを利用者にISDN経由で送る。これで利用者は作図作業を継続する。これは、広域なネットワークの活用事例である。実際にそのようにしてソフトの保守作業が行われるなら、自動作図ソフトに対する信頼感は倍増する。自動作図活用の利点は、構造物に関する正しいデータがコンピューター内部に蓄積されることである。そうなれば、作図にも積算にも、材料の加工のためのデータとしても利用できる。文字どおり、構造物のデータベースになる。データベースの構築には、コンピューターとその周辺にさまさまなインフラが整備されなければならない。時間をかけて整備することが大切で、目先のことにとらわれると、CALSの構築になかなか到達できない。

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CALSの実現に向けて(1995年9月5日)

 最近、CALS(生産・調達・運用支援統合情報システム)の論議がにぎやかである。
 建設省と通産省は七月三十一日「共通コードインデックス策定研究会」を設置したと報道された。研究期間二年間で、基本コード体系について国際標準化機構(ISO)を始めとする各種基本体系の情報収集、将来像を提言するという。CALSへの第一歩がコードインデックスの整備確立とは、実現への道程の遠さが思いやられるが、実際問題としては、CALSが日常的に利用される時期は三十年も先のことかも知れない。ただし、できることから始めるという実用本位の考え方からすれば、すでにコードが体系化されている物価版と建設工事の積算に用いる複合単価を結びつける「歩掛かり」を整備して、数量拾(ひろ)いが行われた建物のコストを正しく掴むシステムの利用を推進するべきであろう。
 一品生産を前提とした建築工事の最大の問題は、すべての数量を拾い上げた段階でも建設費を評価しにくく、値入れの方法が近代化されていない点である。現場説明で図面を渡され、各社がそれぞれ数量を拾い出す方法より、予め発注者が拾った数量調書を各社に配って、値入れをさせる方が余程合理的で明朗であろう。一つの建物に使用する材料の数量は、本来、唯一でなければおかしい。工数に関しては、技術の格差も含めて競うべき土俵であり、それ以外の所で競うことが多過ぎては、業界の近代は到底図れない。
 設計完了の時点で拾い上げた数量は、工事完了まで使用される契約数量の基本になる。その意味で設計者の責任は重要である。より高い精度の数量を保証するためには、設計図書間の不整合を極力排除するシステムの構築を必要とする。設計者の仕事は、広範囲に亘るから、現実に設計対象とする建物について、どこまでの仕事が可能かという点に関しては、極めて難しい問題である。ただし、建物のコンピューター内のモデルが、時間を追うごとに次第に精度を増すようなシステムが理想的である。設計者のカバーする領域を自ら狭くし、実作業をいわゆる下流に流してしまう風潮から、早く脱却することに力を注ぎ、いかに設計者の意図どおりに施工を間違いなく行うかという、設計業務の本質的な仕事の仕方に立ち返る努力を続けなければ、到底CALSには到達できない。
 今日のようにネットワークが整備されてくると、資料を持ち寄っての打ち合わせに割く時間は、ロスが多い。パソコン通信による電子会議は、時間の制約を受けないのと、必要なことを文章に記して伝えるので、後日の証拠を確実に残せること、第三者にも議論の状況がありのままに伝わり、場合によれば直ちに意見を記述できるなど利点が多い。意匠と設備の設計担当者の会話を構造設計者が聞いて、不具合に対して口を狭めれば、手戻りの量は大幅に削減できる。データの転送も相互に行える時代であり、不整合のチェックや調整が短時間に済むわけで、利点が多い。何よリも他人に頼らずに自分自身で考えることに時間が割ける。
 CALSを契機として、あまりにも前近代的であり過ぎ、技術をないがしろにする悪習から脱却する日がくることを願う。

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高性能パソコン時代が来る(1995年8月7日)

 過去三十五年、商用コンピューターの機能は、年々着実に向上している。しかし、ふり返ってみるとその歩みはそれほど速かったわけではない。また、その進歩のぺースは、必ずしも平均したものではなく、ある時期には階段を一気に駆け上がるような速さで、次元を越える進歩を示すかと思うと、期待に反して数年もの間ほとんど停滞してしまう時期が繰り返されて今日に至っている。
 現在のアーキテクチュアのコンピューターは、すでに量産品の範ちゅうに入る。従って、ハードウエアそれ自体の進歩は、停滞期に入ったとみてよい。今の時期は、ハードウエアの機能に比べてソフトウエアの対応が遅れており、もう何年も前から32ビットアーキテクチュアのパソコンを使いながら、16ビットのOS(オペレーションシステム)のもとで利用せざるを得ない状態が続いていた。
 筆者は、WINDOWS−3.1が16ビットのOSとしてしか動作せず、処理速度が遅すぎて、到底実務に耐えられないのを不思議に思っていた。さすがの天才ビル・ゲイツも、ついに限界に達したのかとも思っていた。一昨年あたりから、盛んにWINDOWSーNTのベータ版のインストールを機会あるごとに行ってきたが、毎回失敗を繰り返した経験から、これもまた、未完成品かと諦めていた。メーカー各社では、ハードディスクやCDーROM(コンパクトディスクを使った読み出し専用メモリー)読みとり機が自社の純正品でないからという説明であったが、純正品でしか動作しないパソコンはパソコンではないと、頑なに考えている筆者にとっては、意味のない言い訳でしかなかった。
 ようやく今年に入って、米国から取り寄せたWINDOWSーNTの周辺ツールを用いて、MSーDOSのもとで16ビット用の場合の計算時間と比較して、32ビットOSの威力をまざまざと見せつけられる思いがした。十倍から百倍の計算速度は、ようやく実用に耐える能力に達したという満足感を持つと同時に、十分速くなった処理速度を体験して、ソフトインフラが次第に整備されてきたとの実感を持った。
 この夏には米国で、冬には日本でも待望のWINDOWS/95が販売されるといわれている。WINDOWS/95はWINDOWSーNTを完全に包含するともいわれている。過去の例から見て、半年や一年の遅れがあったとしても、確実に32ビット用のOSが市販のパソコン上で使える時期が来ることは、まず間違いがない。
 さて、待望の32ビットパソコンの環境が整ったとき、建設関連の利用法はどのように変化するだろうか。高性能のパソコンの能力を前提とした場合には、設計から施工へと進む過程で、設計の中でも前工程から後工程へと進む過程で、データの間違いに気付いた時点で、即座に修正できるシステムが、実現可能になる。設計から施工までを通じた建物データの管理を実用化する時期がきたといえる。
 構想、実験の段階から実用化の段階に移るには、それなりの変革が必要である。蓄積してきた技術を使って、性能の向上したコンピューターの利用者として、着実に恩恵を受けることができるように、変革の時を逃してはなるまい。

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質の良い国づくりをめざせ(1995年7月7日)

 六月二十五日付の朝日新聞の天声人語に「梅漬ける甲斐あることをするように」との細見綾子氏の句にちなんだ一文を読んだ。戦後の復興期から高度成長期、その終末におけるバブル経済とその崩壊の今日まで、いかに効率よく物をつくるかをテーマにして、働き続けてきた。そして、物がふんだんに手に入る豊かな国になったが、半面、世界で最も物価の高い国にもなってしまった。戦後の一時期に比べれば、平均的な国民の生活が良くなったことは確かであろう。
 しかし、現在の生活を今後も長く続けることが、不可能であることも明らかである。暑さを凌(しの)ぐ冷房によって、確かに夏は過ごし易くなったが、その為の電力の半分は、原子力に頼っている。その廃棄物の放射能が生物に害を及ぼさないまでに必要な年月を考えると、孫子の代まで今の状況を続ければ、国中が原子力廃棄物で覆われてしまう。今まだ、行き詰まっていないからといって、将来必ず行き詰まるに違いないことを続けることは、子孫に対して犯罪を犯しているのと変わらない。
 いま、バブル期に起きた政治的、経済的、宗教的な犯罪が裁かれているが、それらは、ほんの氷山の一角であって表面化しない潜在的な犯罪は、沢山犯しているに相違ない。それが、罪の意識なく行われていることは、恐ろしいことである。
 友人のマンションが防水と塗装を主体とした改修工事の計画を実行するにあたって、管理組合の役員をしている友人が、そのマンションの管理を担当している会社のやり方を非難していた。まず第一に、三年前に塗装工事を行った同じ仕様で、今回も行おうとしたことは、わずか三年で赤サビが浮くような材料の選択に対する反省が全くないこと。第二に、見積もりさせた改修業者三社が明らかに談合していたか、高値を入れた二社はたんに「当て馬」として参加したに過ぎないことが見え透いていること。そして、最低価格自体が、バブル期とほとんど変わらない高値であったことから、管理会社の不実を指摘していた。おそらく、そのマンションは、自主管理に移行することになると思うが、今度は、管理組合の役員の負担が非常に大きくなることが予想される。
 いま新たに建設するマンションよりも、築後二十年を経たマンションの保守問題が、大問題である。神戸地震では、建築家のサイドから見れば設計者の想定した条件を超える大きさの地震という天災であっても、共同所有のマンション所有者から見れば、明らかな人災と受け取れる。
 さらに、再建に当たって、共同所有という面での難しさをも露呈している。土地の路線価は、実勢価格を大幅に上回り、地価税との絡みで微妙な立場の地主たちが多数生じている。もう、景気刺激策などの小手先の政策では景気は立ち直らない。一度に価格破壊を引き起こせばパニックに陥るから、少しずつ経済全体を後退させる政策が望まれる。選挙に金を使い、権力を行使してその金を回収することの繰り返しに、行き詰まったのだから、根本的な建て直しが必要である。
 良質の政治家、良質の官僚、良質の国民が、精一杯働ける世の中をつくり出したい。「梅漬ける甲斐あること」の意味をもう一度考え、時間をかけて良い物をつくり出す喜びを噛み締めて、出直したい。

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ウィンドウズの動向と実態(1995年6月14日)

 WINDOWS−3.1とWINDOWSーNTの日本語版には、過去、前者には処理速度において、後者にはインストール時のトラブルで何回も期待を裏切られてきた。32ビツトのアーキテクチュアをもつハードウェアを使いながら、WINDOWSー3.1は何故16ビットのOSなのか、それにもかかわらず、なぜ世間は大きな期待を抱いているのか。WINDOWSーNTの日本語版は、サードパーティーの作るディスクには対応していないので、日本製のパソコンセットには極めて相性が悪く、インストールに成功する確率が極めて低い。
 今日のパソコンの隆盛にサードパーティーの果たした役割は非常に大きい。にもかかわらず、大メーカーは自社製品だけで構成するパソコンセット以外はWINDOWSーNTの日本語版がインストールできないようにしている。
 最近、兵庫県南部地震の影響もあって、大きな構造モデルをパソコンで解析したいという需要が非常に多くなった。かつて、大型機で使用していた解析用ソフトは、パソコン上で使用可能である。ただし、16ビットのOSでは、解析速度の関係で解析可能なモデルは非常に大きな制約を受ける。一つのモデルの解析に十時間も掛かっていたのでは、条件を変えての繰り返し計算ができないからである。
 16ビットのアーキテクチュアのハードをフル利用できるOSとその元で作動するFORTRANコンパイラーさえあれば、計算時間は少なくとも十分の一程度に短縮できる。業を煮やした筆者は、英語版のWINDOWS—NTとMS—FORTRAN POWER STATION32を米国から取り寄せて、普通のDOS/V機にインストールし、実験してみた。そして、その試みは、思いがけず成功した。静的な弾性解析はもち論、動的解析も手の内に入ってきた。部材レベルでの弾塑性解析が、静的解析は勿論、動的解析も32ビットの領域を使用して楽に利用可能になった。
 巷では、WINDOWS—95と呼ばれる32ビット対応のOSが、この夏には米国で、日本語版は年内か来年早々には発売されるといわれている。
 たび重なる失望の末窮余の一策に導入した英語版WINDOWSーNTとFORTRANコンパイラーの手段が成功したので、もうそれ程待ちこがれるような思いは抱かないで済む。それだけでも有り難いことだが、何よりもより原型に近い素直な構造物のモデルで解析できる手段を手に入れた喜びは非常に大きい。しかも、解析ソフトの価格は五百ドルほどで、OSとコンパイラーの価格は合計七百ドル。円高の現在は、夢のような低価格で、より、真実に近づく手段が手に入る。
 兵庫県南部地震の結果は、設計基準がほんの一つの設計指標に過ぎないことを教訓として示した。また、専門家として、設計者個人個人が、技術的に安全を確認する手段を常に追求していなければ、施主の期待に応えられないことを見せつけた。われわれの周辺には、高性能のコンピューターや、解析手段が低価格で供給される環境が整ってきている。
 ややもすれば流行を追いたがる世評に惑わされることなく、信念をもって真理を追究する技術者の心で、新しい手段の到来を迎えて、さらに一歩前進したい。

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 「世をいとなみ(経)、民をすくう(済)」。これが唐の太宗が造語した経済の意味するところで、銭勘定のように低次元のことをいう言葉ではないと、作家の司馬遼太郎が「歳月」の中で江藤新平に言わせている。それを井上馨という低次元の政治家が、盛んに経済を理財の意に使い、それがいつの間にか普及してしまったともいう。
 高度成長からバブル景気を通じて結局、大企業の大半は技術より営業に重点を置き、民を救うどころか、銭の権化に走ってしまった。大企業各社のトップは一様に、「以後このようなことを二度と起こすことがないように」と談話を述べている。この際、心の底から反省をしてほしい。
 今、わが国の産業界全体は不況のどん底にある。しかし、目先の不況対策で解決するような簡単な不況ではなく、高度成長期以後、次第に成長経済を前提とした借金経済に国も国民も慣れ過ぎてしまったところにも根本原因があるのだから、長い年月をかけて、国民全体がバブル期のツケを支払う気持ちにならなければ、この苦境を脱することはできない。都知事選の結果は、従来の政策に対する都民の批判の結果である。
 東京都には某社製のコンピューターが大量に納入されている。大阪府は、他の某社のコンピューターが占領している。過去に各都道府県に納入されたコンピューターは、見事に「住み分け」ができている。都道府県民のことより大企業との癒着、大企業間の暗黙の談合が、これほど見事に行われている業界も珍しい。
 青島都知事は、視点をより遠くに置いた都民全体、国民全体の将来の安定のために、今何をしなければならないかを考え直したいとの強い意向で選挙に勝った。建設業界もコンピューター業界も、自社と身の回りのことだけを考えるのではなく、孫子の代までも通用する仕事をするよう、根本から考える良い契機である。
 営業に重点を置けば、技術は二の次になる。兵庫県南部地震の教訓は、技術に身の入らなかった体質に対する鉄槌(つい)でもあった。一品生産を前提とする建築は、設計も、施工も十分過ぎるほどの注意を払って、しかもなお設計不良、施工不良をなくすことは容易なことではない。設計時に見逃した設計上のミスの発見を施工者に期待するような設計者の態度では、設計者の責任を全うできない。どうしたら、設計ミスをなくすことができるかを、技術的に追求する気持ちを失っては、設計・ミスから逃れられないのである。施工者は、施工ミスをできるだけ減らす努力をしなければならない。そのための技術的な追求は、常に心に留めておかなければ、施工ミスをなくせない。設計も施工も、現段階の技術はまだまだ未完成である。技術の完成の道は遠い。遠いけれども、一歩一歩、歩むことしかできない。一挙に解決する方法などは有り得ない。技術とはそういらものである。

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建築設計に取り組む姿勢(1995年4月7日)

 兵庫県南部地震の調査結果は、当座の被害一覧という程度の報告から、原因の推定を含めた検討結果が各種の機関から続々公表され、設計不良、施工不良の他に、過去の被害には経験しなかった鉄骨の脆(ぜい)性破壊という報告も含めて、考えなければならない問題が数多く残された。
 地震による建物の被害を経験する都度、その被害状況に照らして、設計基準の改正を繰り返してきた。高度成長期、構造不況期、バブル景気、その崩壊という経済環境の変化に振り回されているうちに、設計者の心の中に基準に頼り過ぎる気持ちが芽生え、確認申請さえ通ればという、低次元の処理に全力を注ぐ世過ぎが、設計の専門職としての姿であるような錯覚をもってしまったのであろうか。本来、建築家が常に持っていなければならない、「自然に対する恐れの気持」を失っていたのではないかという強い反省が必要であろう。
 設計にコンピューターを利用したいと考えた初期の段階には、少なくとも一歩でも真実に近づきたいとの気持ちが強かった筈である。基準さえ満足すれば安全であると考えるのは、明らかに錯覚である。こうした考えに乗じて、基準通りにプログラムされたソフトを利用すれば、設計家の手を煩わすことなく設計が完了すると宣伝して、ソフト・ハードの販売を行う手合いは、コンピューターを手品の種にした魔術である。詐術と呼ぶほうが正しいかもしれない。基準というものは、最低守らなければならないルールであり、それさえ守れば良いというものではない。実務に向き合って締め切りに追われると、ついそのことは忘れて、基準をクリアすることに血道を上げてしまう。
 自然の脅威を数値に置き換えるのは、設計実務を行うための便宜上の仮定であり、設計者が怖いと感じた分だけ余裕をもたせるのが設計という行為である。設計という仕事が、建築工事を完成させるまでの一つの過程であることは事実であるが、その行為の中に施主と施主を取りまく社会に対して、自然の脅威に対してできる限りの安全を保証する責任を伴っていなければならない。
 高度成長期やバブルの時代に、限られた時間の範囲で設計を行うから、設計が多少不備なままでもやむを得ないと考え、不備な所は施工時に補うということが横行した。必要な設計期間は取れるように、環境を整えることも設計者の仕事の一つである。既に、バブルが崩壊して、先の見えない不況期に入っている。少しでも良い仕事を心掛け、計算外の余裕を食いつぶさないよらな努力を続けて、ようやく自然の脅威から逃れられる確率が高くなるのである。目先の欲に捕われることのない清廉な仕事の進め方に戻らなければならない。設計の良否の判定は、設計を行ってからはるかに時代を経た後に下る。本人の生存中に下るとは限らないのだから、謙虚な気持ちを忘れてはならないのである。現在のような不況期には、公共企業体からの発注が設計、施工を含めて主流を占める。元を正せば国民の税金であり、公共建築を単に不況を乗り越える手段にしてしまうようなことは許されることではない。

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設計技術者の姿勢を考える(1995年3月9日)

 阪神大震災の調査結果が各種の機関から報告され始めている。純粋に学術的な分析結果は、今の時期にはまだ報告としてまとめるには早過ぎる。被害を受けた建物、被害を受けなかった建物のそれぞれの特性、それらの建物が建つ地盤との相関などを詳細に調査した後に、調査者の見解を添えて報告されるであろう。従って、現在の時点では、過去の研究結果と照らし合わせて、個人的な推測を交えた報告が主体であり、これは当然である。
 もともと、耐震というテーマは、極めて微妙な要素が数多く潜在している。現在の耐震基準は、それらの微妙な要素をマク口につかんで、安全率を見込み、設計上、施工上の多少の狂いは包含してしまうように作られている。一方、経済的な観点から、新素材、新工法の研究が進み、基準作成時に想像できなかった条件が、度々生じる。鋼材、コンクリート材の高強度化は、その一例である。
 経済設計を目指すということは、法に照らして問題はないという範囲で、安全率が犠牲にされる危険を孕んでいる。技術、学術の問題と法と経済、それらを合法化する政治の絡みで建設が行われる。そして、天然現象によって、冷静な結論が下される。
 既に雑誌に掲載された芦屋浜の住宅の被害報告によると、十四階、十九階、二十四階、二十九階の四種類の住棟のうち、二十九階建ての柱の損傷はゼロで、十四階建ては比較的被害が少なかったという。この結果に関しては、十分ありそうな結果と思うが、設計の段階に事前にこの結果を予測するには相当の勇気が必要である。荷重と剛性がほんの少し変化しただけで、別の結果になってしまうこともあり得るからである。計算上の剛性、荷重と固有周期の実測値との照合などは当然行われていると思うので、その差についても調査報告に加えてほしい。
 小規模な鉄骨構造のALC板が耐震壁として働いた形跡、RC構造物のサッシですら、ある程度の横力分担をした形跡などをみると、現在、雑壁として構造主体から問題外として無視している耐震要素の評価方法なども検討課題であろう。
 現在、構造設計者の多くが確認申請の書類作りの期限に追われ、構造設計時に意匠、設備の詳細が決まらないまま、設計作業を一旦終了させてしまうような作業環境も問題である。雑壁の問題一つを考慮に入れるためには、高度成長期、バブル期を通じて、効率化に重点を置きすぎた設計、施工の進め方から考え直さなければ解決しそうもない。過去、地震が起き、予想外の被害を受けるたびに、設計基準の改定が行われてきた。そして、基準さえ満足すれば安全という錯覚が安全率を食いつぶす方向に作用する。基準を満足させることは最低限守らなければならないことで、専門的な観点から、設計する建物の安全の確認を自ら行う姿勢が大切なのである。
 既に、わが国の場合、次に起こるべき地震のエネルギーは着々と蓄えられている。これを避ける手段がない以上、技術者個人が少なくとも、かかわった建物に専門家としての良心を失わずに、地震を受けた時の建物の挙動に深い関心をもって仕事をする以外にはない。

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「パソコン通信」の活用を(1995年2月3日)

 パソコン通信の兵庫県南部地震(阪神大震災)の第一報は、十七日午前七時八分に京都から寄せられた。PEOPLEの建築ギャラリーのフリーボードの中である。第二報は七時三十八分。神戸市兵庫区からは十二時四十四分で、自分の住むマンションの被害状況と避難場所が書き込まれていた。それまでにテレビの報道などから被害の大きさを知って、兵庫県に住む友人たちの安否を気遣うメッセージが十数件書き込まれていた。
 そして、地震関連の書き込みのための緊急会議室が十七日十四時十七分に建築ギャラリー内に開設され、生存の消息を伝えるメッセージや生々しい体験談が、時々刻々多数寄せられた。二週間の間に約二百通ものメッセージであった。
 二十七日には、建築ギャラリーのメンバー数人が各地から震災地に集まり、建築の専門家としての立場からボランティア活動を行っている。そして、震害の実体に触れ、途方に暮れる被災者たちからの質問にこたえながら、地震の怖さを体験していることは、将来の設計活動にとっても貴重な体験になろう。
 その他、二フティーの建築フォーラムには十九日に「防災建築・防災都市」という緊急会議室が開設されているし、多くの建築家が加入しているアーキネツトのフリーボードは、会員の多くが関西在住者であることも影響して、急に地震の緊急ボードに変わり、貴重な体験談が数多く寄せられている。土木のフォーラムにも緊急会議室が開設されている。
 筆者が第一報に触れたのが七時半ころであったが、筆者の感受性が鈍かったために、これほどの被害状況と直観できず、仕事に追われていたこともあって、テレビの報道を見たのが十二時であった。
 パソコン通信は、電話線さえあれば全国どの地域からでもほとんど同じ条件で利用できる。使い始めるまでに多少の慣れが必要なので、加入者がその気になって利用しなければ得るものは何もないが、書き込まれたメッセージは、読もうという気持ちさえあれば、誰でも読むことができる。
 読んだ結果の行動については、各自の感受性、価値観と行動力、置かれた環境によって左右されるのは当然である。電話と違って、会話の相手が不在でも、自分のメッセージが残せる。直接の会話ではないので、都合の良い時にメツセージを読めば、書き手の意思をくみ取ることができる。新聞、雑誌より即時性があるし、編集者の目を通していないだけ新鮮でもある。
 今回の地震の被害調査や設計基準の見直しなどについては、いずれ関係各所から沢山の報告書が出されると思うが、人の受けた恐怖感は日を経るにつれて薄れていく。その時点で書き込まれたメッセージは、永久に残される。読み手の印象も新鮮なうちに書き込まれているので、公式なリポートとは異なる多数の人びとの考え方が生のまま記録されている。
 パソコン通信の利用は、ようやく緒に付いたばかりであるが、あるゼネコンでは、今回の地震を契機に、全員がネツトに加入したと聞く。その価値は、加入者の使い方一つにかかっており、生かすも殺すも加入者自身が決めることであるが、まず隗(かい)より始めよの意図は貴重である。

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生産設計は設計者の危機(1995年1月11日)

 最近、生産設計という用語をよく耳にするようになった。去る十二月に行われた建築学会の情報シンポジウムにおいても、生産設計に関する論文が数題報告され、論文発表の部屋は満席の盛況であった。
 設計事務所の設計図書で表現し切れない部分を、施工を始めるに当たって、確認の意味で施工図を引き、工種間の納まりなどのチェックを行う。建設現場においては、在来から行われていたことで、タイル割りから、サッシの位置を定めたり、必要な役物の寸法、数量を算出して発注するために施工図を書く。内部の間仕切壁の位置は、仕上げ材の納まりや電気設備、空調設備の縦配管を納めるためのシャフトなどから決められる。壁の位置の決め方によっては、小梁(ばり)の位置を若干変更する必要も生じる。梁と機械設備の配管の関係によっては、梁成を変更しなければならないことも発生する。これらを含めて生産設計と呼ばれている。
 現在では生産設計を行わなければ、現場が進められないともいわれている。いい換えれば、設計図書のみでは現場は工事ができないということである。不思議なのは、生産設計という用語に対する、設計事務所の反応の鈍さである。施工のために、もう一度図面を引き直す。そうしなければ、施工ができないということは、設計図書が不備だと言われているに等しい。設計者の意識は、確認申請をもってー区切りになる。そこを通過しなければ工事は始まらないのだから大切には違いないが、建築の生産という一連の行為からみれば、ほんの入り口でしかない申請行為で一段落という意識が、一つの問題である。
 設計者の作成するべき設計図書は、何をもって完了とするかという定義が極めて曖昧である。設計の技術領域は、意匠、構造、設備に大分類され、三者の間の技術交流を図りにくい。確認申請に必要な書類は、意匠、設備は設計全体の五割に満たないが、構造は殆ど百%に近い。意匠や設備の詳細が決まらない時期に、構造だけは全てを決めてしまう。本来不可能なわけで、申請時には仮にこう決めればこうなるというに過ぎない筈である。しかし、仕事の流れからすると、構造担当の技術者は、確認申請をもって設計の終了という意識であり、次の仕事に取り掛かってしまう。その後に、次第に意匠の詳細が決まり、設備の詳細が明らかになる。長い間に、設計段階での調整を行わないまま、工事の発注が済み、現場は始まるという習慣が根付いてしまった。
 構造設計という仕事を、特殊な領域として、専門の事務所に外注する習慣もこの風潮に輪をかけた。外注事務所への発注形態からすれば、確認申請で打ち切れば都合が良い。それやこれやで、次第に負荷が生産設計側に寄ってしまい、設計者は詳細を決めないまま発注が行われるという、海外工事を体験した人から見れば、不可解な設計図書が増えてきてしまった。
 生産設計といわれている仕事の内容は、本来、設計事務所の仕事である。そうでなければ、設計者の仕事は、基本設計を行うというように用語の定義を改めなければなるまい。
 設計者の危機が迫っている。

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