1998年 1月−12月

真の設計技術の確立(1998年12月3日)

 相変わらず不況が続いている。不況の根本の原因が過去40年にも亘る生産過剰にあり、巷にものが溢れている今、必要な技術は勝れた製品を多品種少量生産する技術であって、大量に一種類の品物を生産する技術ではない。
 建設の領域は、一品生産の技術であり、量産された材料を組み合わせての現場施工を手順良く、如何に手戻りを少なくするかが最大の問題である。残念ながら、設計の時点で、各専門業者の施工までを見通した技術は、未だ確立されていない。施工業者が決定してから、生産設計をやり直さなければならないのが現状である。設計者の技術領域が意匠、構造、設備に大別されており、異なる領域間の技術情報の交流方法を抜本的に改善する努力が必要である。
 構造家が確認申請に必要な書類を揃える時点で、設備関連の設計図書は通常、殆ど整っていない。少なくとも、設計に掛かる初期の段階に基礎回りの躯体図を設備設計者に渡し、給排水に必要な水槽関連の配管を含めた設備と、構造部材との不整合をチェックし、構造に対する変更要求や必要な梁貫通口の情報を構造設計者に渡しておけば、施工段階での設計変更の頻度を大幅に減少できる。受変電設備、空調器機、屋上水槽、昇降機など、構造躯体に大きな影響を及ぼす設備の情報が、現状では重量と概略の位置を与えられる程度で、構造設計を済まさざるを得ない。もし、屋上、ペントハウスの躯体図を関連の設計者に早い時期に渡せれば、より詳細な設備機器の設計図を構造担当者が入手でき、構造躯体の配置もより適したものにできる。
 それぞれの領域における専門家達が顔を合わせ、メモ程度の資料で情報を伝達するのではなく、コンピューター内に構築した建物モデルを基に必要個所を必要に応じて図化した情報交換を行えば、実のある情報伝達になる。手書きのCADで作図した紙からの情報では、相互の不整合が生じた場合、一旦作図した図面の変更に多大の労力を伴うし、不整合の発見自体も遅れる。建物内に配置される配管類は構造躯体の各部と相互に空間を競合することが多いのだから、これらの情報交換は設計の初期の段階から施工の最終段階まで、常時行っていなければならない。
 不況の回復には長い時間を必要とすることを覚悟して、設計段階から施工時を想定した設計法の抜本的な改革を行う良い機会である。不況で各専門業者の金額を叩けば、唯でさえ苦しい専門業者は成り立たなくなる。単に金額を叩くのではなく、手戻りを無くする為に、コンピューターを駆使して、質の高い設計を行うことに努力を傾け、不正工事の基を断ち切ることを心掛けるべきであろう。

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技術と経営の倫理観(1998年11月5日)

 次から次に様々な不祥事が露見し、摘発されている。公害に関する不祥事の責任を当事者や自治体、行政が認めるまでには長い年月が掛かってしまう。水俣病や阿賀野川の水銀事件は、現に多くの犠牲者を見ながら、責任を先延ばしにしてきた企業と企業側の見解を正とする行政の態度が、問題を長引かせ、被害を拡大した。企業側の行った調査を通じて、担当技術者が直感的に企業の排出物に原因があることを察知し、社内に報告しても、調査を命じた上司から報告書の改ざんを求められ、やがて技術者としての個人と企業のサラリーマンであることとの板挟みになる。
 最近、使用済み燃料の輸送容器の技術資料が改ざんされていたとの報道があった。当事者のコメントは、実害は無いとのことであるが、実害がないかどうかをどのような根拠で判断したか、詳細なデータを公開しなければ一般には納得できない。当然、問題に関わっている技術者は、真実を把握しているはずであるが、その周辺にバリヤが張りめぐらされて、外部からは接触できない。原子力の問題は、特に早期にあらゆる情報公開を行って、後世の人類に累を及ぼさないようにしなければならない。
 科学技術者の倫理に基づく事件は、わが国だけの問題ではなく、古くはガリレオの「それでも地球は回っている」時代から、政治、経済を支配する権力者の思惑が科学技術の真理を歪め、人類や国民に多大な被害を与えてきている。
 1986年1月チャレンジャー号の打ち上げ直前に行われた、技術者と技術者の所属する企業の経営者との打ち上げ中止勧告をめぐる双方の主張は、科学技術者の立場の弱さを象徴している。NASAとの時期契約の為に、きっと失敗するという根拠を出せない技術者側の弱点を捉えて中止要請を抑え、打ち上げを強行して失敗した。その後の失敗の究明に関しては、その扱いに米国とわが国ではかなり相違があり、わが国ではトップ以下担当の失点にならないようにとの、詰まらぬ配慮を周辺がやりすぎて大切な情報を隠し、何度も同じ過ちを繰り返す。
 様々な不祥事で共通している問題点は、真相の究明と情報の公開を徹底して行う姿勢に欠けることである。政治と技術を完全に分離した正しい判断を如何にして下せるかに取り組まなければならない時期にきている。担当の技術者が感じた不安を究明するには、時間も費用も掛かるから、つい既定路線を走り勝ちになるが、技術者は真理に近い予見を持つ場合が多い。経営者は、技術者の主張を正しく理解し、既定路線を早急に変更する勇気を持つよう、普段から科学技術者の話を聴く訓練が必要であろう。

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設計に労を惜しまず(1998年10月2日)

 『地震と社会』と題する本を読んだ。著者はジャーナリストであるが、神戸の災害を取材し、関東大震災以前から今日までの多くの参考文献をエネルギッシュに読み、独特の感性で地震の本質を捉えた名著である。
 地震発生のメカニズムは、関東大震災の当時から見れば、かなり解明されている部分も多い。しかし、地震予知に関しては現在の技術レベルでは不可能であることを明解に指摘している。さらに、大正末期から現在まで多少の修正を経てはいるものの、連綿と続いてきた現行設計法の抱えている矛盾をも指摘している。
 震災の被害をいかに減少させるかというテーマが本職の構造家は、地震がいつ来るかということよりも、その建物がどのような地震を受けるかに、より関心が高い。
 関東大震災が、最大加速度三百ガル以上であったことは、震災後の調査で明らかになっている。最近では誰もが何度も利用した体験を持つ工ルセントロNS波の最大加速度も三百ガルを超えている。中層構造物にこの波形を使ったシミュレーションを行えば、ほとんどの建物は崩壊を免れないことも体験しているはずである。にもかかわらず地震への対応は、大正年代から今日まで、静的な外力によって検討すればほぼ安全であるとされてきた。非常に大きな不安を抱えて、昭和初期に活発に交わされた剛柔論争は、当時の貧困な道具では結論を出し得ないまま、消えてしまった。
 現在、誰にでも手に入る解析ソフトによって、静的解析も動的解析も同じ解析モデルを使用して行うことが可能である。モデルの構造要素の配置を変え、モジュールを変更して何度も解析を繰り返して結果を考察し、最適な設計に近づける努力を惜しまなければ、目標の地震波に対する震害も自ずと見えてくる。
 動的解析を実際の設計に活用するのに用いる実測地震波は、殆どリアルタイムで入手できる。選択をどうするかは設計者の判断であるが、実際、全国各地で常時地震の観測が行われ、いつでも、誰でも、それらの観測結果を入手して、実際の設計に利用できるわけで、地震波を選択するための文献の研究やプログラムの利用、体験も含めた訓練をおろそかにできない。地震は、マグニチュード、震源の深さ、減衰特性、周波数要素、継続時間などのランダムなパラメーターの組み合わせの中からたまたま一つの条件のもとに起きた記録に過ぎないとも言われるが、入手した地震波に設計中の建物がどのように反応するかは設計者としては知っておかなければならない。独自の人工地震波を作成して利用することも必要である。要は、設計に労を惜しんでは何も解決しないし、社会から頼られる設計者にはなれない。

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情報公開に向けた技術革新(1998年9月3日)

 すでに、六月十二日改正建築基準法が公布されている。新聞雑誌などで、新法に移行した後の対応について議論されているが、要は従来、学会や官界も含めた業界の中だけで通用してきた論理が、今後は施主や最終利用者をも含めた全体で正しい論理に従うことになるということである。
 従来から、一品生産の設計・施工技術に関して、施主や利用者から見て極めて不可解な現象が潜んでおり、告発された場合も種々報道されている。「建築は難しい」と言ってしまえば身も蓋(ふた)もない。設計者が細部の納まりに至るまでのすべての責任を負い、その代償が設計料である。しかし、従来の設計技術は、世の他の産業に比べて遅れている部分が多い。設計図面をそのまま現場では使えないことなどはその最たるものである。その程度の荒っぽい設計を当然としてきた慣習は、前近代的であり、それでは施主とのギャップは埋まらない。設計者側は申請から工事開始に至る諸々の手続きに追われ、建築にかけるエネルギーを殺がれるという。施工者側が契約完了後に生産設計と称して設計をやり直す行為は、施主から見れば設計者と施工者のなれ合いと見られる行為である。
 CALS(生産・調達・運用支援情報システム)の実現は遠い先の話としてきた建設業界にとって、新法は非常に厳しい。ただし、幸いなことにコンピューターはそのギャップを埋める道具として利用できるまでに進歩した。少なくともコンピューターを前提として、紙に書いた図面や仕様書の類を一掃するチャンスと考えて、新法施行までの間に、早急に準備を整えるべきであろう。建築物の品質を保証し、完成後長い年月を経た後にも、誰がどのような経緯で使用材料の決定をし、それが妥当であったか否かを立証する記述を閲覧できるようにしなければならない。
 企画、設計、施工、保守の各段階に、共通するただ一つの建物モデルをコンピューター内に作り上げ、そのモデル作成の過程を克明に記述していく。必要に応じて建物モデルを各専門分野の担当者が利用して、作業を行い、その結果をモデルに肉付けをする。いつでも部品レベルまで分解でき、部品の加工がそれで良いかどうかをチェックできる。モデルと実際の建築物は一対一で対応しており、見た目に隠された部分も、モデルを拡大して見れば一目瞭然になる。そのようなことができるためには当然モデルを読みとるためのインターフェースを各専門分野の処理ソフトが整えていなければならない。
 設計者は、設計技術のレベルを一段と高め、設計のミスを排除して、スムーズに施工が行われるような設計を担当自身が確認する。施工者は安んじて設計通りに正しく施工する。設計上のミスは、できる限り早い工程で発見して、手戻りを少なくする。異業種間の不整合の情報は、設計情報に付加されて建物モデルに返され、設計者のチェックを容易にする。そのようなことは当然今も行っていると開き直る向きもあろうが、不整合を皆無にすることの難しさは当事者遠の常識でもあり、その壁を打ち破る手段を早急に確立しなければ、新法には対応できない。

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性能規定と技術の限界(1998年8月4日)

 構造の技術は今もって、極めて未熟である。未熟だからといって建設の需要があれば成熟するまで待つわけにはいかない。技術が未熟な間、政治的判断によって物事を決することも必要である。但し、過去の政治的判断は、多分に技術が成熟しているとの意識に基づいていた形跡が強く感じられる。
 技術は年々進歩する。以前から見ればコンピューターの機能は向上しているが、建設に必要な処理はそれに倍する量で増加している。材料諸元は部材内で一律であるとの前提に於いては、ある程度の解析が可能にはなった。しかし、溶接など加工時に加熱された部材の材料諸元は一律である筈はない。兵庫県南部地震に於いて主柱が断裂した芦屋浜の高層マンション群の原因究明は、いち早く補修して外部から補修部分が隠蔽された後は、未解明のまま一件落着の様相である。あの手の構造物の構造要素が風などの横力による常時微動によって材料の塑性化を誘発していた可能性もある。瞬時に加わった大きな応力が塑性化を引き起こしたか否か、憶測の域を出ていない。
 構造解析の技術は、まだまだ未熟であって、個々の構造物の設計段階から施工に到る製造過程の全てに、その時々の最新技術を駆使しても、なお且つ万全ではあり得ない。そのような技術の未成熟な時に、プログラム評定などという、政治的手段によって、個々の設計、施工の技術的な努力を殺ぐようなことをしてはならないと筆者は思う。プログラムというものは、非常に多くの行数の処理指示を、人力によって書き上げて作成される。そこには、驚くほど多くの間違いや錯覚が混入しており、決して「はい、これで完成」などと気安く言えるものではない。数多くの実物件に使用して、そこで発見されたバグを訂正し続けても、現在の技術では「最後のバグを潰した」ことを立証する手段はないからである。
 従って、プログラムを使用する立場の技術者は、常に細心の注意を払って、結果の正しさを色々な角度から検証しながら仕事を進めなければならない。使用しているプログラムに、常に不安を抱きながら仕事を進めなければならない所に、コンピューターを使う技術革新の困難がある。学識経験者が大勢集まっても、プログラムの内に潜むバグを探し出すことは不可能なのである。「評定済みプログラムは万全」と思わせること自体が危険だということを訴えているのである。少なくとも学会がそのような政治的な処理に賛同してはならないと思う。
 性能規定に移行する今、最新の技術を駆使して、どこまで構造物の品質を保証することが可能かという議論を広く行う必要がある。施主に建物の性能と品質をどこまで説明できるかは、政治の問題ではなく、技術の問題である。今の時代、コンピューターを使うことは当然であるが、最新のコンピューターに高機能のソフトウェアを搭載した道具を、スキルのある技術者が使用して設計したとき、何処まで保証できるか。保証の限界を何処に置くべきかが取り組むべき問題なのである。
 性能評価の対象となる構造物は、それに関わる人間の寿命より遥かに長い間使われ続けるのだから。

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ソフトウエアの変革期(1998年7月2日)

 建設業界にコンピューターが導入されてから三十五年、パソコンが使われ始めてから十五年の歳月が過ぎた。
 しかし、せいぜい最近の数年間を除くと、有史以前ともいうべき原始的な利用法の模索に大半の時間が費やされてきた。その原因は未成熟なコンピューターの機能に起因する。高価で未成熟なコンピューターをよくここまで使い続けてきたと言い換えることもできる。
 構造に関していえば、略算法に頼らざるを得なかった時代から、コンピューターによって骨組みの解析が可能になり、構造設計者の道具として利用された功績は非常に大きかった。それは認めるが、一方では解析モデルの作成に膨大な時間を費やしたり、データチェツクが不備で、間違いに気が付かぬまま解析を終了してしまったり、コンピューターによる解析結果に不信感を抱かせた罪は大きかった。コンピューターの性能が向上して、解析ツールが細密になればそれだけデータミスが混入する可能性は高くなる。
 32ビツトパソコンが登場し、ようやく解析モデルのグラフィック表示によるデータの検証が可能になり、同時に解析実行の速度が飛躍的に向上して、解析モデルの入カデータと解析結果との連続性が、解析者の頭脳の中で保たれるようになった。解析者が占有できるコンピューターの性能がようやく実用の記憶容量と実行速度になったと言える。問題は、過去に高価でありながら性能の低いコンピューターに悩まされ続けた解析者達が、現在の低価格、高性能のコンピューターを容易に信じられないところにある。過去のコンピューターは解析者自身が操作をしなかった。オペレーターに仕事を依頼し、結果の出力のみを眺める習慣から、すべて一人で完結する方法に切り替えることがなかなかできない。
 コンピューターは性能の向上によって、設計者や解析者のパートナーとしての位置付けにまで成長した。当然、必要なソフトウエアも変化する。図面といえばCAD、というようにCADは二次元汎用CADの代名詞に成り下がった。コンピューターの機能が低い時代には、建物モデルをコンピューター内に構築するなどおよびもつかず、作図効率が少しでも向上すれば良しとせざるを得なかった。しかし、現在の高機能のコンピューターなら分野別の建物モデルの構築が可能である。分野別三次元CADと各分野をつなぐデータ交換機能によって、従来の設計者の打ち合わせに相当する役割を果たし、最新のモデルを通じて他の専門技術者との情報交換が行える。
 設備の配管が突然構造躯体を貫通したり、配電盤が耐震壁に大きな開口を明けたりする在来型設計方式から、他分野の技術者から出された一つの案を、即座に検討することも可能になる。「又図面を変更するのか」という事態から、「図面ならいつでも描ける」態勢に移行できる。それに耐えるソフトウエアの開発を手掛ける時期が到来した。設計内だけでなく施工との連動も同様である。積算は当然、常時必要に応じて行える。
 これらのソフトウエアを搭載したコンピューターを駆使して、ようやく性能設計、性能保証への道が開ける。

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次世代CADの展望(1998年6月2日)

 CADという用語は、既に普通名詞として使われている。ただし、CADの定義についてはかなり幅広い。図形をディスプレイ機器上に表示させ、画面上で線を引き、消し、移動するような操作が楽にできるようになって、一見、CADは実現できたかのような印象を受ける。が、設計本来の目的から見れば、現在普及し、一般にCADとして受け入れられている汎用CADは、グラフィックエディターとでも呼ぶべきものであり、設計本来の道具にはほど遠い。
 コンピューターを使用して画面上に図面を引くということが、設計の一助となっている事実を否定しているわけではないが、設計者が図面を引くのは、それによって自己の設計の是非を確認し、見落としを発見し、漠然とした部分を次第に明確にするためである。図面を引くことによって設計者の頭脳に設計中の建物が次第に具体化する。図面は設計の過程で不可欠な工程ではあるが、2次元の平面上に3次元の実体を表現するには限界があり、多くのスケッチや模型で不足を補ってきた。
 グラフィックエディター形式のCADは、コンピューターの機能の向上につれて仕様が強化され、操作性に於いては殆ど不満がない迄になった。CADオペレーターという特殊な職種が誕生して、異職種向けの図を重ねて表示するなど、設計上の不整合を早期に発見することも実践しているが、設計者が直接操作して思考する環境にはなかなかならない。更に、数量を拾い出し、建設価格をはじくという工程と連動することは不可能である。この種のCADは平面と断面の図をX,Y軸とZ軸に合わせて、パース図として画面上に表示し、作図した本人が図面の不備を発見するまでが限度であろう。
 次世代のCADとして期待するものは、コンピューター上に建物モデルを構築するものである。構築したモデルを水平に切って、水平な平面に投影した図が平面図であり、垂直な平面で切って、その平面に平行な面に投影した図が断面図である。これが3次元CADと呼ばれ、実用化が近づいている本来のCADである。コンピューター内のモデルは、施工順序までを明確に示す程度のディテールを積み上げて構築される。建築は非常に部品点数が多く、しかも年々増加する新建材の種類も多い。従って、利用者を特定した専門別のCADが、3次元CADの射程範囲である。今の所、この種のCADは、構造設計用、鉄骨制作用など極めて狭い領域に限られて利用されているに過ぎないが、今後急速に利用分野が拡大され、各専門別のCAD間にデータ交換が行われれば、建設現場に於ける技術革新が急速に進展する。
 全ての職種を含んだ総合CADの実用は、もう一段階コンピューターの性能の向上を待たなければならないが、32ビットのアーキテクチュアをフルに活用した構造、意匠、設備、更に専門別に詳細なデータベースを前提とした内外装、建具などの各職種別専用に分解すれば、十分実用に耐えるものになる。3次元CADの活用は、設計から施工に到る建築技術の様々な領域に、技術レベルの向上をもたらすと思う。

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地震記録は著作物か(1998年5月6日)

 伊豆群発地震が毎日のように報道されている。その間にも、埼玉県久喜市付近を震源とする地震なども発生している。地震発生のメカニズムは、関東大震災の当時から見れば、かなり解明されている部分も多い。しかし、地震予知に関しては現在の技術レベルでは年月の推定は不可能である。
 震災の被害を如何に減少させるかというテーマが本職の構造家にとっては、地震が何時来るかということよりも、将来確実にやってくる地震に対して、建物がどのような挙動を示すかの解明が急務である。解明の手段の一つとして過去に起きた地震の記録を使用して建物の挙動をコンピューター上で観察することは非常に有効である。ここ数年のコンピューターの機能的な向上によって、建物の動的挙動を部材レベルで観察することも可能になった。
 建物の安全を保障するのに過去の地震波を用いることの是非は、現段階では議論の余地を多分に残してはいるが、少なくとも既に実測されている地震記録は、構造家にとって重要な道具の一つである。過去の地震から得られる教訓は、震災を受けダメージを受けた建物であり、過去に設置した地震計で採取した記録である。被災した建物からは、従来見えなかった弱点が見えてくるし、地震計の記録を用いて、被災した建物をその地震波で解析し直し、どのようにして破壊にまで到ったかの道のりを辿ることもできるからである。
 兵庫県南部沖地震の地震波で、一般に入手可能な記録は、神戸気象台で採取した地震波であり、この記録は(財)日本気象協会が販売している。この地震波は上記財団法人が著作権を主張して、複製を禁じている。筆者もこれを購入し、解析に必要な形式に変換して使用しているが、波形記録を付けた解析モデルを書籍等に掲載することは禁じられている。まもなく性能設計に移行しようとしている今、この種の解析手法を日常業務の中で普通に用いなければならない構造家にとって、極めて不自由なことである。
元は国の機関が国家予算を使って敷設した地震計から採取した地震記録を、傘下の財団法人に著作権を与えることに、違法性を感じるのは筆者だけであろうか。
一方、科学技術庁のホームページから、全国約1000地点の強震観測記録を、誰でもが受け取れる。これは複製を禁じてはいない。鳴りもの入りでスタートした国の行政改革は、不況対策の為にとん挫しそうな様相である。気象庁と科学技術庁との職分が重複していたり、採取した地震記録の扱いがまちまちなことなどは、改める気になればすぐにでもできることである。しかも、折角取れた貴重な地震記録を傘下の特定の組織の私物としてしまうことは許されないと思う。
手に入る限りの最高のものを利用してもなお、自然の脅威を相手にする構造設計の質に対する信頼を得るには、まだまだ能力不足なのである。個々の技術者の惜しまぬ努力は勿論必要であるが、国の機関やそれに類する組織が私物化している記録類は一時も早く公開し、地震国日本における技術向上の具に資するべきであろう。

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世代交代と技術の継承(1998年4月2日)

 長引く不況を背景に、構造設計への取り組みに変化の兆しが出てきた。バブル期には大手の設計事務所やゼネコンの設計部が、設計の効率化を追求することに目を奪われ、自身で仕事をするより、外注してより多くの仕事量を消化する風潮が蔓延した。技術の内容よりも、売り上げや利益の金額を大切に思う経営方針の結果、技術的な体験の機会が減少し、一種の技術空白現象を生じた。
 バブル崩壊を契機に、この種の構造設計の機械的消化パターンは消滅し、一転して、外注から社内作業に力を入れ始めた。建築物の安全という見地からみれば、ようやく正常に戻ったと言えよう。不況とともに、CADオペレーターも一貫設計プログラムの専任入力者も大半姿を消し、構造設計者が自らデータ入力を行い、CAD操作を行うことを奨励するようになった。
 不況は、さらに深刻さを増し、内部処理に高齢技術者を当てる傾向を強めている。内部で処理をするには、それなりの道具を揃えなければならない。バブル期の異様な技術空白現象の間にコンピューターは格段の進歩をしている。
 それに伴ってソフトウエアの機能も向上している。技術者を取り巻く環境は著しく変化し、以前のように専任のデータ作成者、キーパンチャーやオペレーターに口頭で命令すれば仕事が進むのではなく、自身がパソコンのキーを叩き、マウスを操作しなければ仕事は進まない。
 この環境の変化は、リストラを進める社会環境とともに想像以上に高齢の技術者には厳しく感じられる。コンピューターの些細な情報や知識の欠如が、作業の流れを完全に止めてしまう。若い世代の技術者は、先ず、やってみて、駄目なら別の方法を試みることに抵抗感が少ない。その体験の積み重ねが情報や知識の不足を次第に補って行く。コンピューターの操作方法を先ず勉強して頭で理解してからでないと手が出せない世代との大きなギャップである。操作上の問題は、兎も角先ずやってみることで解決する。その壁を一旦乗り越えると、高齢技術者が有する過去の手作業時代から蓄積した様々な設計上のノウハウが生きてくる。実体験の不足する若年者層には全く手の届かない大きな力を発揮する。
 自ら手を下すことによって、多くの新たな発見も生じる。今のコンピューターは、過去には想像もできなかったほど、処理性能が高い。設計条件を変更しながら繰り返し処理結果を検討するのに、さほどの時間を要しない。他人の手を煩わせると、そこにコミュニケーションのロスが生じるが、すべて自分で行えば、自分の記憶が消えないうちに次の体験との比較ができる。ニつの設計案の優劣は、処理の繰り返しのうちに自然に判断できる。
 本来の設計者の姿を見事に取り戻した高齢の設計者に接してみると、コンピューターがようやく設計ツールとして、役立つ存在になったことを実感する。
 次の問題は、実体験豊富な高齢技術者と高性能のコンピューターとが一体になった新しい設計環境を、次世代の若い技術者達に継承する方法である。
 時間との闘いも含めて、技術継承の方法を深刻に考え、過去の貴重な経験を含めた環境を消さないように継承したい。

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性能設計に必要な道具(1998年3月3日)

 平成七年十一月からスタートした建築基準法の見直しは、当初の計画によれば、平成十年五月ごろには法案が成立し、平成十一年の夏ごろには新法が施行されることになっている。在来の基準法との大きな相違点の一つに、規制緩和による選択の自由の拡大がうたわれている。建築物単体の基準については、建築主や消費者が多様な選択を行うことができるよう建築設計の自由度を高めるという。そして、規制対象を必要最小限にし、規制については基礎となる考え方を明らかにした上で、建築物が満たすべき性能項目・性能水準を明確かつ客観的なものにすることになる。
 構造設計という技術分野に限って以上の新法に対する対応を考えると、設計者は従来の延長では到底対応できない重い責任を背負うわけで、身の引き締まる思いである。自身の努力により技術を飛躍的に進歩させなければならないし、そのために必要な道具類はー新しなければならない。技術に裏忖けられた個々の技術者の責任が重くなり、従来のように、設計に掛かる前に取りあえず窓口の役所の意見を聞いて、ご機嫌を伺うような態度では、到底新法に対応できない。施主も役所も専門技術者として絶大な信頼をおけるほどの技量と見識と、何よりも設計した建築物の安全を裏付けるための試行錯誤が必要である。
 コンピューターが普及し、とくにパソコンを用いた一貫設計による構造計算書の作成が可能になった十年ほど前から、構造設計技術担当者の技量は、皮肉なことに以前より低下してしまった。設計料を著しく値切られるとか、構造設計図書作成と現場管理を切り離して分離発注するとか、さまざまな社会的な環境の変化が当事者側から聞こえてくるが、それは単なる言い訳で、最大の原因は技術者の勉強不足であろう。構造技術者が使用する道具は、その時代における最高のものを利用しても猶、自然の脅威を相手にする構造設計の信頼を得るには、まだまだ能力不足である。それを補うのは、技術者の惜しまぬ努力以外にはない。
 役所の審査の合理化を目的としてスタートしたプログラム評定制度は、設計者のための道具の進歩を阻害した。同時にまた、設計者の技量の研鑚(さん)意欲をも奪ってしまった。それに甘えた設計者達を一概に責めるのは酷であるかも知れない。しかし、結果的には設計者の技量は著しく低下した。わが国は、地震国である。地震に対する対応は、大正年代から今日まで、静的な外力によって検討すればほぼ安全であるとされてきた。本当にそうかどうか、非常に大きな不安を抱えたまま、昭和初期に活発に交わされた剛柔論争は、当時の貧困な道具では結論を得ないまま、消えてしまった。もし今、議論を再開すれば、新たな結論が得られる筈である。コンピューターは、ある程度動的な解析にも耐え、地震時の被害を予測する能力が備わってきたからである。
 新法の精神を生かすためには、すべてゼロからやり直す姿勢が必要である。目先の欲得や、小手先の対応でなく、建築物の寿命にも増す遠い将来までを安心して委ねられる設計者に育たなければ、新法に改革しようとしたスタート時の精神を生かせない。

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技術革新を発想する能力(1998年2月3日)

 古来、わが国では一旦輸入したものを独自の技術で模倣し、改良し、原作を越える作品を作り上げることに、非常に長けていると言われている。古くは鉄砲の伝来から造船、自動車、コンピューターの開発に到るまで、一旦取得した技術を究極にまで高める能力は優れているように思える。道具の性能をフルに発揮するための利用技術にも優れている。金型の制作に見るように名人といわれる技量に習熟する資質も海外に引けは取らない。それは道具をとことん利用して、製品を作る技術にもいえることである。四周海に取り巻かれ、海外からの情報の伝達には不自由な環境にあったから、一旦得た技術を追求して、究極の水準にまで高める能力が自然に身に付いたのであろうか。しかし一方では、鉄砲の命中率を飛躍的に高めるために銃身に施条を施したり、銃弾の発射時間を短縮する為に先込め式を元込め式に変えたりする革新的な発想には、なかなか到らないのが我が民族の欠陥でもある。
 コンピューターを利用して、建築の構造設計をしっかり行うという発想は、米国から取り入れた。そして40年程の間に、構造設計を行う為にはコンピューターを抜きにしては不可能なまでに普及した。コンピューターが渡来した当時、構造設計は略算法で十分とされていた常識が根強く残り、それらの旧習を払拭するのに、新潟、十勝沖、宮城沖などの地震の被害を体験しなければならなかった。コンピューターが高価に過ぎたことも、普及の障碍になっていた。その一方で、高価なコンピューターを苦労して導入し、設計の質の向上を目指した先進的な技術者達の勇気と努力を忘れてはなるまい。そして今、一応の構造解析が日常業務の中で可能になったことは歴史の一里塚である。
 コンピューターの中に構造モデルを構築するという発想は、やはり、海外からもたらされた。設計者が構築した構造モデルは、解析、作図、数量積算を通じて使われる。最終的には部品の加工情報としても利用される。そのような広い範囲にモデルを利用する為には、制約条件も含めた新たな情報がもたらされる都度構造モデルに手を入れ、改良する。現在のコンピューターの能力は、そのようなモデルを細密に作り上げるには、処理速度の面でも、記憶容量の面でも不足している。不足している分は、利用技術で補うことにして、ともかく枠組みだけは作ってしまおうというのが欧米流の発想であろう。
 この10年の間に建築設計の為のコンピューターは一挙に普及したが、せいぜい二次元の図面を書く道具としての位置づけから抜け出せない。構造設計という仕事は、常に地震や風水害の脅威に晒されながら行わなければならない。図面を書いて終わりではなく、建築が済み、施主が使い始め、自然の脅威と向き合いながら健気に耐え続ける構造物との一体感を感じながら、同じ費用を掛けるなら、より安全な設計を追求する。その為の道具は、こうなくてはならないと感じる能力を養い、コンピューターの進歩に合わせた道具作りを常々心掛けなければなるまい。道具が進歩すれば、従来と同じ労力で成果を上げることが可能になる。

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パソコンの低迷期を迎えて(1998年1月8日)

 ここ数年間、パソコンの機能は、処理速度、記憶容量の両面で非常に進歩した。ハードウェアをとりまく利用環境は、ウィンドウズNTを中心として完全に32ビットアーキテクチュアの機能が市販され、従来、16ビット環境の元で呻吟させられていた解析の環境がすっかり改善された。お陰で、過去の時代から見れば夢のような高性能なコンピューターを使って構造設計を行える。但し、図形表示機能など32ビット環境に対応するソフトウェアのツール類は現在開発途上にあり、いまだに16ビット時代のソフトウェアを使用せざるを得ないが、これは、1、2年のうちには解決する。問題は、コンピューター内に構築された設計モデルとその正当性を裏付ける解析モデルとが機械的に連動できず、設計者の頭脳の助けを借りてかろうじて連携が保てるという現状である。その部分を機械化するのは、現在の性能では到底不可能で、今後の構造設計におけるコンピューターの利用技術は、しばらく低迷期に入ることが予想される。
 過去20年間におけるコンピューターの進歩は、スーパーミニと呼ばれた32ビットミニコンが先導役を務め、多少の量産化と低価格化をEWS(エンジニアリングワークステーション)が行ったが、一般の構造家が利用するには、ソフトウェアの整備が不十分であったことと、パソコンとして使用するには高価であり過ぎた為に、所詮は特殊分野に利用が限定されていた。EWSと時を同じくして廉価な16ビットパソコンの普及が、構造家に対するコンピューター利用の推進力となり、一挙に構造設計の分野に浸透し、コンピューターを抜きにした構造設計は殆ど成り立たないまでになり、2次元モデルの完熟期を迎えた。2次元モデルに限定すれば、解析モデルと図面を対象とした設計モデルの連動は可能であり、事実、部分的な連動が行われた時期もあったが、構造物が3次元空間に存在し、設計図面間に於ける整合性を保持する為には、3次元モデルを必要とする時期が日ならずして訪れた。3次元の解析モデルを解析するのは16ビットパソコンでは限界があるが、その限界を32ビットパソコンは簡単にクリアして今日に至った。
 32ビットパソコン内に構築する3次元構造モデルは、16ビット時代から見れば遥かに精緻なモデルになるが、パネルゾーンや接合部、2次部材なども含めた構造モデルは、モデル構築に要するマンパワーが問題になる。データ入力者に構造設計の素養が要求される質の問題も生じる。時には部分的にチェックの為の解析を行いながら、構造諸要素を決めることも必要になる。その時に使用する解析モデルは、別個に構築しなければならないのが、32ビットパソコンの限界である。
 64ビットコンピューターが、日常的に我々一般の構造家の手元で使えるようになるまでには、まだ幾つもの障壁を乗り越えなければならないので、軽く10年の歳月が必要であろう。その時に、構造家が高機能コンピューターを持て余さないように、今、構造技術の原点を見つめ直し、できることから積み上げることが必要である。

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